北海道

北海道で多い名字は佐藤氏,高橋氏,鈴木氏,伊藤氏,田中氏.

北海道内の市町村での地域的な特徴はない.

例外は,室町時代から本州の今で言うところの青森県,秋田県,北陸と結びつきの強かった道南.函館では氏,工藤氏,小山内氏,長内氏,二本柳氏が多く青森県との共通点を見出すことができる.また,秋田谷氏,伊瀬谷氏,越後谷氏,越中谷氏,加賀谷氏,津軽屋氏,能登谷氏,若狭谷氏といった秋田市に多い名字も見られる.「谷」と言うのは地形の「谷」ではなく屋号の「屋」に由来.

また,北海道には明治維新後に青森県・新潟県から多くの移住者が入植した他,秋田県・石川県・富山県・宮城県,それに次いで,徳島県・香川県からの入植者が多かった.

このことが,北海道に佐藤氏,長谷川氏,本間氏という新潟県に多い名字が多いことや,高橋氏,佐々木氏,鈴木氏,伊藤氏という東北に多い名字が多いこと,山本氏,中川氏,森氏という四国に多い名字が多いことの背景としてある.

地域区分

【市町村】
地域区分地域区分市・郡市町村
道央空知市部夕張市|岩見沢市|美唄市|芦別市|赤平市|三笠市|滝川市|砂川市|歌志内市|深川市
空知郡南幌町|奈井江町|上砂川町
樺戸郡月形町|浦臼町|新十津川町
夕張郡由仁町|長沼町|栗山町
雨竜郡妹背牛町|秩父別町|雨竜町|北竜町|沼田町
石狩市部札幌市|江別市|千歳市|恵庭市|北広島市|石狩市
石狩郡当別町|新篠津村
後志市部小樽市
島牧郡島牧村
寿都郡寿都町|黒松内町
磯谷郡蘭越町
虻田郡ニセコ町|真狩村|留寿都村|喜茂別町|京極町|倶知安町
岩内郡共和町|岩内町
積丹郡積丹町
古平郡古平町
余市郡仁木町|余市町|赤井川村
日胆胆振市部室蘭市|苫小牧市|登別市|伊達市
虻田郡豊浦町|洞爺湖町
有珠郡壮瞥町
白老郡白老町
勇払郡厚真町|安平町|むかわ町
日高沙流郡日高町|平取町
新冠郡新冠町
浦河郡浦河町
様似郡様似町
幌泉郡えりも町
日高郡新ひだか町
道南渡島市部函館市|北斗市
松前郡松前町|福島町
亀田郡七飯町
上磯郡知内町|木古内町
茅部郡鹿部町|森町
二海郡八雲町
山越郡長万部町
檜山檜山郡江差町|上ノ国町|厚沢部町
爾志郡乙部町
奥尻郡奥尻町
瀬棚郡今金町
久遠郡せたな町
道北上川市部旭川市|富良野市|士別市|名寄市
上川郡鷹栖町|東神楽町|当麻町|比布町|愛別町|上川町|東川町|美瑛町
空知郡上富良野町|中富良野町|南富良野町
雨竜郡幌加内町
勇払郡占冠村
上川郡和寒町|剣淵町|下川町
中川郡美深町|音威子府村|中川町
留萌市部留萌市
増毛郡増毛町
留萌郡小平町
苫前郡苫前町|羽幌町|初山別村
天塩郡遠別町|天塩町
宗谷市部稚内市
宗谷郡猿払村
枝幸郡浜頓別町|中頓別町|枝幸町
天塩郡豊富町|幌延町
礼文郡礼文町
利尻郡利尻町|利尻富士町
道東オホーツク市部北見市|網走市|紋別市
網走郡美幌町|津別町|大空町
斜里郡斜里町|清里町|小清水町
常呂郡訓子府町|置戸町|佐呂間町
紋別郡遠軽町|湧別町|滝上町|興部町|西興部村|雄武町
十勝市部帯広市
河東郡音更町|士幌町|上士幌町|鹿追町
上川郡新得町|清水町
河西郡芽室町|中札内村|更別村
広尾郡大樹町|広尾町
中川郡幕別町|池田町|豊頃町|本別町
足寄郡足寄町|陸別町
十勝郡浦幌町
釧路市部釧路市
釧路郡釧路町
厚岸郡厚岸町|浜中町
川上郡標茶町|弟子屈町
阿寒郡鶴居村
白糠郡白糠町
根室市部根室市
野付郡別海町
標津郡中標津町|標津町
目梨郡羅臼町
色丹郡色丹村
国後郡泊村|留夜別村
択捉郡留別村
紗那郡紗那村
蘂取郡蘂取村

 

自治体

石狩振興局管内

【市町村】
自治体名備考
札幌市志村鐵一家・吉田茂八家が豊平川左右岸に植民[1857]
蝦夷地開拓掛・大友亀太郎が札幌に赴任[1866]
札幌本府建設[1869]
山形県・新潟県より300人札幌村[和民23戸,アイヌ3戸]に植民[1870]
300植民のうち柏崎県民22戸96名により札幌新村成立[1870]
札幌村・札幌新村→札幌村[1871]
札幌本府→札幌区[1879]
山鼻村鴨々中島→編入[1886]
地方自治体として札幌区発足[1899]
札幌村・雁来村・苗穂村・丘珠村→札幌村[1902]
札幌村の一部→札幌区元村町[1910]
苗穂村の一部→札幌区苗穂町[1910]
藻岩村大字山鼻村屯田兵村地区→札幌区編入[1910]
豊平町大字豊平村の大部分[現在の豊平・旭町・水車町]→札幌区編入[1910]
札幌区→[市政施行]札幌市[1922]
札幌村の一部・大字雁来村の一部→札幌市編入[1934]
円山町→合併[1942]
豊平町[豊平村・月寒村・平岸村]→合併[1961]
手稲町[上手稲村・下手稲村・山口村]→合併[1967]
政令指定都市移行[1972]
江別市立花由松が対雁入植[1867]
対雁村発足[1871]
宮城県涌谷領21戸76人入植[1871]
江別太に屯田兵10戸入地[1878]
江別村発足[1878]
篠津村発足[1881]
篠津村→新篠津村分村[1896]
幌向村南6線以北→江別村に編入[1901]
江別村・対雁村・篠津村→[二級町村制]江別村発足[1906]
[一級町村制]江別村発足[1909]
江別村→[町制施行]江別町[1916]
江別町→[市制施行]江別市[1954]
札幌市角山豊石→江別市編入[1955]
北広島市中山久蔵が札幌郡月寒村島松入植[1873]
和田郁次郎ら広島県人25戸103人入植[1884]
月寒村大曲・島松→広島村発足[1894]
[二級町村制施行]広島村発足[1902]
[一級町村制施行]広島村発足[1921]
恵庭村大字島松村の一部[東の里地区]→編入[1943]
広島村→[町制施行]広島町[1968]
広島町→[市制施行]北広島市[1996]
石狩市松前藩により石狩場所設置[慶長年間]
花畔[Bannaguro]村・生振[Oyafuru]村発足[1871]
樽川村発足[1882]
本町・弁天町・新町・浜町・仲町・横町・船場町・親船町・若生町・八幡町・生振村→[二級町村制]石狩町発足[1902]
花畔村・樽川村→[二級町村制]花川村[1902]
厚田村・別狩村・小谷村・押琴村・古潭村・安瀬村[Yasosuke]・濃昼村[Gokibiru]→[二級町村制]厚田村[1902]
茂生村[Moi]・群別村[Kunbetsu]→[二級町村制]浜益村発足[1902]
石狩町・花川村→[一級町村制]石狩町[1907]
厚田村・望来村[Mourai]→[一級町村制]厚田村[1907]
浜益村・黄金村→[一級町村制]浜益村[1907]
石狩町石狩湾新港→小樽市に編入[1975]
石狩町→[市制施行]石狩市[1996]
厚田郡厚田村・浜益郡浜益村→編入[2005]
千歳市箱館奉行・羽太正養がシコツを千歳と改称[1805]
千歳に千歳郡千歳村外五ヶ村[千歳村・烏柵舞村・長都村・蘭越村・漁村・島松村]戸長役場開庁[1880]
漁村・島松村分離[1897]
千歳村・烏柵舞村・長都村・蘭越村→[二級町村制]千歳村発足[1915]
[一級町村制]千歳村発足[1939]
千歳村→[町制施行]千歳町[1942]
千歳町→[市制施行]千歳市[1958]
恵庭市元萩藩士49戸入植[1886]
加越能開耕社移民[石川県・富山県]100戸余入植[1893]
漁村・島松村→[北海道二級町村制]恵庭村発足[1906]
[北海道一級町村制]恵庭村発足[1923]
恵庭村→[町制施行]恵庭町[1951]
恵庭町→[市政施行]恵庭市[1970]

空知振興局管内

【市町村】
自治体名備考
夕張市登川村発足[1890]
登川村・角田村・長沼村→由仁村に合併[1893]
由仁村→[分離]登川村[1897]
[二級町村制]登川村[1906]
登川村→夕張町[1918]
[一級町村制]夕張町[1919]
夕張町21字成立:丁未・社光・高松・福住・富岡・住初・旭町・錦ケ岡・東山・本町・鹿ノ谷・新夕張・若菜辺・大夕張・二股・清水沢・沼ノ沢・真谷地・楓・登川・滝ノ上[1919]
夕張町字統廃合[1942]:錦ケ岡→錦;社光・東山→社光;高松→高松・小松;本町→本町・昭和;鹿ノ谷の一部→鹿の谷・本町・末広;若菜辺→若菜・常盤・日吉・平和・千代田;大夕張→鹿島・南部;二股→富野;楓→楓・紅葉山
夕張町→[市制施行]夕張市[1943]
夕張市地名再編[1969]:鹿島→鹿島明石町・鹿島千年町・鹿島錦町・鹿島宝町・鹿島富士見町・鹿島緑町・鹿島栄町・鹿島弥生町・鹿島代々木町・鹿島春日町・鹿島北栄町・鹿島常盤町・鹿島白金;南部→南部岳見町・南部幌南町・南部遠幌町・南部夕南町・南部若美町・南部大宮町・南部新光町・南部東町・南部菊水町・南部青葉町・南部北夕町;清水沢の一部→清水沢清栄町・清水沢宮前町・清水沢清陵町・清水沢住の江町・清水沢清湖町・南清水沢
岩見沢市松前藩領→天領[江戸時代]
狩野末治が宿を開業[1883]
山口県・鳥取県等10県から士族459名集団移住[1884]
[一級町村制]岩見沢村発足[1900]
岩見沢村→[町制施行]岩見沢町[1906]
岩見沢町→[市制施行]岩見沢市[1943]
美唄市福島磯次郎[富山県]が市来知村から美唄川南岸移住[1886]
沼貝村発足[1890]
中村豊次郎率いる三重県人団移住.中村地区発足[1894]
沼貝村・市来知村一部→[二級町村制]沼貝村[1906]
[一級町村制]沼貝村[1909]
沼貝村→[町制施行]沼貝町[1925]
沼貝町→[改称]美唄町[1926]
茶志内地区一部→奈井江村に編入[1946]
美唄町→[市制施行]美唄市[1950]
芦別市佐藤伝治郎[山形県→歌志内]がパンケホロナイ川右岸移住[1893]
奈江村の一部・滝川村の一部→歌志内村分立[1897]
歌志内村の一部→芦別村分立[1900]
芦別村→[二級町村制施行]芦別村[1906]
[二級町村]芦別村→[一級町村制施行]芦別村[1923]
芦別村→[町制施行]芦別町[1941]
芦別町→[市制施行]芦別市[1953]
赤平市歌志内村の一部→[二級町村制]赤平村[1922]
[二級町村制]赤平村→[一級町村制]赤平村[1929]
[一級町村制]赤平村→[町制施行]赤平町[1943]
赤平町→[市制施行]赤平市[1954]
三笠市空知郡幌内村[萱野・大里・三笠・幌内・唐松・弥生]・幾春別村[Ikushunbetsu;清住・弥生・幾春別・奔別・桂沢]・市来知村[Ichikishiri;岡山、三笠、清住]一部→[二級町村制]三笠山村[1906]
[二級町村制]三笠山村→[一級町村制]三笠山村[1923]
三笠山村→[町制施行]三笠町
三笠町→[市制施行]三笠市[1957]
滝川市滝川村設置[1890]
滝川村→[二級町村制]滝川村[1906]
[二級町村制]滝川村→[一級町村制]滝川村[1909].江部乙村分立.
滝川村→[町制施行]滝川町[1910]
滝川町→[市制施行]滝川市
江部乙町・滝川市→滝川市[1971]
砂川市奈江村設置[1857]
奈江村一部→歌志内村[歌志内・芦別・赤平]分離[1897]
奈江村→[二級町村制]奈江村[1902]
奈江村→[改称]砂川村[1903]
砂川村→[一級町村制]砂川村[1907]
16字成立[北本町・南本町・豊沼・吉野・富平・空知太・北光・焼山・一の沢・宮城の沢・鶉・東奈井江・奈井江・奈井江町・上砂川・上砂川町][1935]
奈井江・奈井江町・東奈井江の一部→[分立]奈井江村[1944]
上砂川・上砂川町・東奈井江の一部・鶉の一部→[分立]上砂川町[1949]
砂川町→[市制施行]砂川市[1958]
新十津川町の一部→編入[1959]
歌志内市滝川村→[分立]奈江村[1890]
奈江村→[分立]歌志内村[1897]
歌志内村→[分立]芦別村[1900]
歌志内村→[二級町村制]歌志内村[1906]
[二級町村制]歌志内村→[一級町村制]歌志内村[1919]
歌志内村→[分立]赤平村[1922]
[一級町村制]歌志内村→[町制施行]歌志内町[1940]
9字成立[本町・東光・上歌・歌神・神威・中村・文珠・新歌・西山][1941]
西山の一部・文珠の一部→[分立]上砂川町[1949]
歌志内町→[市制施行]歌志内市[1958]
深川市深川村設置[1892].三条公爵家・蜂須賀侯爵家・菊亭侯爵家による開拓開始.
深川村→[二級町村制]深川村[1902]
[二級町村制]深川村→[一級町村制]深川村[1907]
深川村→[町制施行]深川町[1918]
深川町・一已村・納内村・音江村→[新設合併]深川市[1963]
多度志町→編入[1970]
南幌町[二級町村制]幌向町[Horomui]設置[1909].石川・岐美・福野・大野・鶴城・中樹林・市街地・晩翠・三重・夕張太からなる.
幌向町→[町制施行・改称]南幌町[1962]
奈井江町松前藩領
奈江村設置[1890]
奈江村一部→歌志内村[歌志内・芦別・赤平]分離[1897]
奈江村→[二級町村制]奈江村[1902]
奈江村→[改称]砂川村[1903]
砂川町奈井江・奈井江町・東奈井江の一部→[分立]奈井江村[1944]
美唄市茶志内の一部→編入[1946].茶志内・奈江原野・チャシュナイ・茶志内美唄・美唄及茶志内・上美唄・上美唄原野・ナイエ川上流からなる.
奈井江村→[町制施行]奈井江町[1950]
浦臼村キナウスナイの一部→編入[1951]
茶志内の一部[三軒屋]→浦臼村へ編入[1951]
上砂川町の上砂川の一部・東奈井江の一部→編入[1952]
上砂川町奈江村設置[1895]
福井県坂井郡鶉村出身山内甚之助ら入植[1897]
奈江村一部→歌志内村[歌志内・芦別・赤平]分離[1897]
奈江村→[二級町村制]奈江村[1902]
奈江村→[改称]砂川村[1903]
砂川町奈井江・奈井江町・東奈井江の一部→[分立]奈井江村[1944]
奈江村→[二級町村制]奈江村[1902]
奈江村→[改称]砂川村[1903]
砂川村→[一級町村制]砂川村[1907]
16字成立[北本町・南本町・豊沼・吉野・富平・空知太・北光・焼山・一の沢・宮城の沢・鶉・東奈井江・奈井江・奈井江町・上砂川・上砂川町][1935]
奈井江・奈井江町・東奈井江の一部→[分立]奈井江村[1944]
砂川町上砂川・上砂川町・東奈井江の一部・鶉の一部,歌志内町西山の一部・文殊の一部→[分立]上砂川町[1949]
由仁町松前藩領→天領[1808]→松前藩領[1821]→庄内藩警固地[1855]
下国皎三・沼田兵七が古川に入植[1886]
奈良鍛吉が古川入植[1887]
山崎又四郎・益本藤蔵が岩内入植[1889]
古川浩平が由仁入植[1890]
熊本団体入植[1891]
由仁村設置[1892].広島より斉藤八六入植.
角田村・登川村[夕張]・長沼村→由仁村外三ヶ村戸長役場[1893].愛知県新川町より加藤平五入植.
由仁村外三ヶ村→[分立]登川村[1897].山形団体入植.
由仁村外二ヶ村→[分立]角田村[1900]
由仁村→[二級町村制]由仁村[1902]
由仁村→[町制施行]由仁町[1950]
長沼町吉川鉄之助・渡辺伝二入植[1887]
長沼村設置[1892]
角田村・登川村[夕張]・長沼村→由仁村外三ヶ村戸長役場[1893]
由仁村外三ヶ村戸長役場→[分立]長沼村戸長役場[1895]
長沼村戸長役場→[二級町村制]長沼村[1902]
[二級町村制]長沼村→[一級町村制]長沼村[1907]
長沼村→[町制施行]長沼町[1952]
栗山町角田石川家中泉麟太郎ら入植[1888]
角田村成立[1890]
角田村戸長役場設置[1900]
角田村・登川村[夕張]・長沼村→由仁村外三ヶ村戸長役場[1893]

由仁村外二ヶ村→[分立]角田村戸長役場[1900]
角田村戸長役場→[二級町村制]角田村[1902]
[二級町村制]角田村→[一級町村制]角田村[1907]
角田村→[町制施行・改称]栗山町[1949]
月形町松前藩領[江戸時代]
樺戸集治監初代典獄・月形潔[元福岡藩士]が月形村設置[1881]
月形村の一部→[分立]浦臼村[1899]
月形村→[二級町村制]月形村[1906]
月形村→[町制施行]月形町[1953]
浦臼町坂本直寛移住[1897]
月形村→[分立]浦臼村[1899]
浦臼村→[二級町村制]浦臼村[1909]
奈井江町三軒屋→編入[1951]
浦臼村キナウスナイ→奈井江町へ編入[1951]
浦臼村→[町制施行]浦臼町[1960]
新十津川町奈良県吉野郡十津川郷[十津川村]で大水害[1889]
十津川大水害被災者600戸2489人がトック原野移住.新十津川村成立[1890]
新十津川村→[二級町村制]新十津川村[1902]
[二級町村制]新十津川村→[一級町村制]新十津川村[1907]
新十津川村→[町制施行]新十津川町[1957]
妹背牛町深川村の一部→[分立]妹背牛村[1923]
妹背牛村→[町制施行]妹背牛町[1952]
秩父別町屯田兵入植[1895]
深川村の一部→[分立]秩父別村
秩父別村→[二級町村制]秩父別村[1906]
[二級町村制]秩父別村→[一級町村制]秩父別村[1923]
秩父別村→[町制施行]秩父別町[1959]
雨竜町華族組合雨竜農場開場[1889]
雨竜村[雨竜・北竜・沼田・幌加内]設置[1892]
雨竜町の一部[北竜・沼田・幌加内]→[分立]北竜村[1899]
雨竜村→[二級町村制]雨竜村[1915]
雨竜村→[町制施行]雨竜町
北竜町雨竜町の一部[北竜・沼田・幌加内]→[分立]北竜村[1899]
北竜村の一部[沼田]→[分立]上北竜村[1914]
北竜村→[二級町村制]北竜村[1915]
北竜村→[町制施行]北竜町[1961]
沼田町富山県より沼田喜三郎ら入植[1894]
北竜村の一部[沼田]→[分立]上北竜村[1914]
上北竜村の一部→[分立]幌加内村[1918]
上北竜村三耕地→多度志村に編入[1918]
上北竜村→[二級町村制]上北竜村[1919]
上北竜村→[改称]沼田村[1922]
[二級町村制]沼田村→[一級町村制]沼田村
沼田村ヌップホロマップ・ウツカヤオマナイ・不知火→多度志村へ編入[1943]
沼田村→[町制施行]沼田町[1947]

後志振興局管内

【市町村】
自治体名備考
小樽市八木勘右衛門がオタルナイに入植[1596]
オタルナイが村並となる[1865]
オタルナイ→[改称]小樽[1869]
小樽→[道区制]小樽区[1899]
[市制施行]小樽市[1922]
高島町・朝里村→合併[1940]
塩谷村→合併[1958]
石狩町石狩湾新港地区→編入[1975]
島牧村永豊村に戸長役場設置[1872]
永豊村→[分割]本目村・永豊村[1899]
本目村・軽臼村・歌島村→[合併・二級町村制]東島牧村[1906]
千走村・永豊村・江泥辺村・原歌村→[合併・二級町村制]西島牧村[1906]
東島牧村・西島牧村→[新設合併]島牧村[1956]
寿都町寿都場所で交易[1669]
松前藩領→天領[1855]→津軽藩領[1859]
[一級町村制]寿都町[1900]
島古丹村・横澗村・能津登村・北尻別村→[合併発足]磯谷村[1902]
潮路村・有戸村・種前村・美谷村→[新設合併]歌棄村[1906]
樽岸村・湯別村→[合併]樽岸村[1923]
寿都町・歌棄村・磯谷村,樽岸村建岩・樽岸・小川・浜中・上湯別・下湯別・丸山の一部・五十嵐の一部→[新設合併]寿都町[1955]
黒松内村・熱郛村,樽岸村五十嵐の一部・中ノ川・添別・目名・月越・丸山の一部→[新設合併]三和村[1955]
黒松内町花岡利右衛門がクルマツナイに宿舎開業[1833]
熱郛村設立[1848]
作開村設立[1855]
伊達邦成家臣団黒松内入植,斗南藩士作開入植,山本玉吉ら白炭入植[1871]
黒松内村・熱郛村・樽岸村中ノ川→[合併]三和村[1955]
三和村→[町制施行]三和町[1959]
三和町→[改称]黒松内町[1959]
蘭越町尻別村・能津登村・島古丹村・横澗村→4ケ村連合[1872]
4ケ村連合→横澗村・島古丹村2ケ村連合,能津登村・尻別村2ケ村連合[1880]
横澗村・島古丹村2ケ村連合,能津登村・尻別村2ケ村連合→4ケ村連合[1882]
尻別村→[分割]北尻別村・南尻別村[1899]
横澗村・島古丹村・能津登村・北尻別村→[合併・二級町村制]磯谷村[1902]
南尻別村→[二級町村制]南尻別村[1909]
南尻別村→[改称]蘭越村→[町制施行]蘭越町[1954]
寿都町字磯谷町[旧・磯谷村]北尻別→編入[1955]
ニセコ町清川孫太・岩上判七ら西富入植[1895]
虻田村の一部→[分立]真狩村[1897]
真狩村の一部→[分立]狩太村[1901]
狩太村→[二級町村制]狩太村[1906]
倶知安村ニセコアン[ニセコ・曽我]→合併[1910]
弁辺村中昆布・柳の沢・桂の沢→合併[1925]
狩太村→[町制施行]狩太町[1964]
狩太町→[改称]ニセコ町[1968]
真狩村香川・福島県人5戸18名がマッカリベツ原野入植[1895]
虻田村の一部→[分立]真狩村[1897]
真狩村の一部→[分立]狩太村[1901]
真狩村→[二級町村制]真狩村[1906]
真狩村真狩別・知来別・御保内→[分立]真狩別村[1922]
真狩村→[改称]留寿都村[1922]
真狩別村→[改称]真狩村[1941]
狩太町の一部→編入[1952]
喜茂別町真狩村の一部→[分立・二級町村制]喜茂別村[1917]
徳舜瞥村の一部→編入[1920]
[二級町村制]喜茂別村→[一級町村制]喜茂別村[1946]
喜茂別村→[町制施行]喜茂別町[1952]
京極町丸亀藩主家京極高徳子爵が京極農場開場[1897]
倶知安村の一部→[分立]東倶知安村[1910]
東倶知安村→[一級町村制]東倶知安村[1923]
東倶知安村→[改称]京極村[1940]
京極村→[町制施行]京極町[1940]
倶知安町倶知安村設置[1893]
倶知安村→[二級町村制]倶知安村[1906]
倶知安村の一部→[分立]東倶知安村[1910]
倶知安村→[町制施行]倶知安町[1916]
共和町小沢村・前田村[前田・梨野舞納・老古美・幌似]・発足村[発足・幌似]→[新設合併]共和村[1955]
共和村→[町制施行]共和町[1971]
岩内町近江商人・恵比須屋[岡田]弥三右衛門が岩内・古宇の両場所請負[1751]
[一級町村制]岩内町[1900]
泊村泊村・盃村・興志内村・茅沼村・堀株村→[合併・二級町村制]泊村[1909]
[二級町村制]泊村→[一級町村制]泊村[1923]
泊村の一部→[分立]発足村[1923]
神恵内村神恵内村[横澗・ツボ石・大川・川向・山ノ上・トラセ・浜中・長屋の沢]・赤石村[大森]・珊内村[川白・ヲネナイ・ノット・オブカル石]→[合併]神恵内村[1906]
積丹町志屋古丹場所設置[1786]
美国町[船澗・小泊・厚苫・幌武意・婦美]・余別村[余別・来岸・神岬・西河]・入舸村[入舸・野塚・日司・出岬]→[新設合併]積丹町[1956]
古平町浜町・港町・入船町・丸山町・新地町・群来村・沖村・沢江村・歌棄村→[合併・二級町村制]古平町[1902]
[二級町村制]古平町→[一級町村制]古平町[1907]
仁木町仁木竹吉ら徳島県人団360余名入植[1879]
仁木村成立[1880]
山口県からの入植者を中心に大江村成立[1883]
大江村の一部→[分立]赤井川村[1899]
仁木村・大江村・山道村→[合併・二級町村制]大江村[1902]
[二級町村制]大江村→[一級町村制]大江村[1915]
大江村→[改称・町制施行]仁木町[1964]
余市町松前藩初代藩主・松前慶広が余市川右岸[上ヨイチ場所]を松前左膳,左岸[下ヨイチ場所]を松前八兵衛に下賜[1535]
柏谷喜兵衛,ヨイチ場所請負[1806]
林長左衛門,ヨイチ場所請負[1820]
竹屋長七,ヨイチ場所請負[1825]
旧会津藩士入植[1871]
浜中町・沢町・富沢町・中町・梅川町・琴平町・山臼町・黒川村・山田村・畚部村[Fugoppe]・大川町・沖村→[合併・一級町村制]余市町[1900]
赤井川村大江村の一部→[分立]赤井川村[1899]
赤井川村→[二級町村制]赤井川村[1906]

胆振振興局管内

【市町村】
自治体名備考
室蘭市松前藩がエトモ場所設置[1600頃]
南部藩出張陣屋設置[1856]
仙台藩角田領主・石川邦光の家臣・添田竜吉・泉麟太郎ら44戸51人が角田村から入植[1870]
室蘭港が開かれ旧札幌通[室蘭中央通]が新室蘭[西小路町],モロラン[崎守町]が旧室蘭となる[1872]
輪西町に第1回屯田兵110戸入植[1887]
輪西町に第2回屯田兵110戸入植[1887]
室蘭町[室蘭市街・絵鞆村]・輪西村・千舞鼈村・元室蘭村→[道区制施行]室蘭区[1918]
室蘭区→[市制施行]室蘭市[1922]
登別市松前藩がホロベツ場所設置
岡田半兵衛がホロベツ場所請負[1838]
滝本金蔵がホロベツ移住[1857]
仙台藩白石城主・片倉邦憲が幌別郡支配[1869]
片倉家中の黒澤源一郎友清・桐軍治・榛澤蔵松・杉山与一郎ら鷲別開拓開始[1870]
幌別郡に登別村・幌別村・鷲別村設置[1873]
鷲別村・富岸村・幌別村・蘭法華村・登別村の5村成立[1876]
幌別・登別・鷲別→幌別村外2村[1880]
室蘭外2村戸長廃止.鷲別村戸長設置[1888]
鷲別村の一部→[分立]輪西村[1901]
鷲別村→[町制施行]幌別町[1951]
幌別町→[改称]登別町[1961]
登別町→[市制施行]登別市[1970]
伊達市仙台藩一門亘理伊達家・伊達邦成が有珠郡支配[1869]
有珠郡→有珠・長流[Osaru]・紋鼈[Monbetsu]・稀府[Mareppu]・黄金蘂[Okonshibe]5村に[1871]
紋鼈村→[分割]東紋鼈村・西紋鼈村[1882]
東紋鼈村・西紋鼈村・長流村・有珠村・稀府村・黄金蘂村→[合併・一級町村制]伊達村[1900]
長流村・西紋鼈村の一部→[合併]壮瞥村[1900]
伊達村→[町制施行]伊達町[1925]
伊達町→[市制施行]伊達市[1972]
大滝村→編入[2006]
豊浦町弁辺村・礼文村→[合併・二級町村制]弁辺村[1902]
虻田村と組合役場設置[1902]
虻田村との組合役場解消[1909]
弁辺村→[改称]豊浦村[1932]
豊浦村→[町制施行]豊浦町[1947]
壮瞥町壮瞥村戸長役場設置[1899]
壮瞥村の一部→[分立]徳舜瞥村[1915]
壮瞥村→[二級町村制]壮瞥村[1915]
[二級町村制]壮瞥村→[一級町村制]壮瞥村[1939]
壮瞥村→[町村制施行]壮瞥町[1962]
洞爺湖町虻田郡各村[虻田村・振苗村・弁辺村・礼文村]戸長役場設置[1880]
振苗村→虻田村に併合[1882]
虻田村の一部→[分立]真狩村[1897]
虻田村→[二級町村制]虻田村[1902]
虻田村の一部[香川・富岡]→[分立]洞爺村[1920]
[二級町村制]虻田村→[一級町村制]虻田村[1938]
虻田村→[町制施行]虻田町[1938]
虻田町・洞爺村[香川・富岡・川東・岩屋]→[新設合併]洞爺湖町[2006]
苫小牧市原胤敦ら八王子千人同心が勇武津入植[1800]
土佐藩が勇払支配[1870]
開拓使勇払郡出張所苫細[苫小牧]移転[1873]
苫細→[改称]苫小牧[1874]
苫小牧外15ヶ村戸長役場設置[1889]
樽前村・覚生村[Oboppu]・錦多峰村[Nishitappu]・小糸魚村[Koitoi]・苫小牧村・勇払村・植苗村→[合併・二級町村制]苫小牧村[1902]
苫小牧村→[二級町村制]苫小牧町[1918]
[二級町村制]苫小牧町→[一級町村制]苫小牧町[1919]
苫小牧町→[市制施行]苫小牧市[1948]
白老町仙台藩,白老陣屋設置[1855]
南部藩・千石熊吉が社台入植[1861]
南部藩・富士源吉が敷生入植[1867]
仙台藩士引き揚げ[1868]
一関藩領[1869]
岩手県の紺野助八・甚作が敷生入植[1869]
開拓使管轄[1871]
開拓使白老出張所設置[1872]
白老外2ヶ村戸長役場[白老村・社台村・敷生村]設置[1880]
白老村・社台村・敷生村→[合併・二級町村制]白老村[1919]
行政区を森野・社台・白老・石山・萩野・竹浦・虎杖浜の7字に再編[1939]
荻野[北吉原]に入植開始[1946]
飛生に入植開始[1947]
白老村→[町制施行]白老町[1954]
安平町安平戸長役場設置[1900]
安平村→[二級町村制]安平村[1906]
[二級町村制]安平村→[一級町村制]安平村[1923]
安平村の一部→[分立]追分村[1952]
追分村→[町制施行]追分町[1953]
安平村→[改称]早来村[1954]
早来村→[町制施行]早来町[1957]
早来町・追分町→[新設合併]安平町[2006]
厚真町南部藩士・森田勘十郎らが浜厚真入植[1800]
新潟県から青木与八らが浜厚真入植[1870]
[二級町村制]厚真村[1906]
[二級町村制]厚真村→[一級町村制]厚真村[1915]
厚真村→[町制施行]厚真町[1960]
むかわ町鵡川町[辺富内村・井戸目村・萠別村・生鼈村]・穂別町[似湾村・穂別村・累標村・辺富内村]→[合併]むかわ町[2006]

日高振興局管内

【市町村】
自治体名備考
日高町1919幌去村の一部→[分立]右左府村[Usappu]
1923[二級町村制]右左府村
1943右左府村→[改称]日高村
地名改称:右左府→日高,岡春部→富岡,三菜頃[Sannakoro]・岩内→三岩,千呂露[Chiroro]→千栄
1962日高村→[町制施行]日高市
2006日高市・門別町[門別村・佐瑠太村[Sarifuto]・平賀村[Biraga]・富仁家村[Tonika]・慶能舞村[Kenomai]・波恵村[Hae]・菜実村[Nami]・厚別村・賀張村]→日高市
平取町1923平取村・荷菜摘村・紫雲古津村・荷菜村・二風谷村・荷負村・貫気別村・長知内村・幌去村→[合併・二級町村制]平取村
1954[町制施行]平取町
新冠町1881高江村外10ケ村戸長役場設置
1923高江村・大狩部村・葉朽村[Hakuchi]・受乞村[Ukekoi]・元神部村・比宇村・泊津村[Hakutsu]・去童村[Saruwaranbe]・姉去村[Anesaru]・万揃村[Mansoroe]・滑若村→[合併・改称・二級町村制]新冠村
1961新冠村→[町制施行]新冠町
浦河町1669松前藩・佐藤権左衛門が浦河神社に金刀比羅宮を祀る
1858幕府牧場掛・新家鉄作が元浦川東岸に馬牧を開く
1880浦河外19ヶ村戸長役場設置.
浦河村・向別村・井寒台村・後邊戸村・荻伏村・姉茶村・野深村・幌別村・西舎村・杵臼村・後鞆村
1902浦河村・後鞆村・向別村・井寒台村→[二級町村制]浦河町
1915浦河町・西舎村[Nishicha;西舎村・幌別村一部]・杵臼村[杵臼村・幌別村一部]→[合併・一級町村制]浦河町
1956荻伏村[荻伏村・姉茶村・野深村・後邊戸村]→[編入]浦河町
様似町1802蝦夷奉行支配下に置かれる
1906様似村・鵜苫村・冬島村・幌満村[Horoman]・岡田村・二七村[Ninana]・誓内村[Chikanai]・平鵜村→[合併・二級町村制]様似村
1941地区再編
様似→東様似・西様似,二七→田代,岡田・二七→新富,誓内→旭・大泉,平鵜→平宇
1952様似村→[町制施行]様似町
1961地区再編
東様似→西町・潮見台・港町・本町・会所町・栄町・大通・錦町・緑町・朝日丘
えりも町1669松前藩・蛎崎蔵人が商場を開く
1906幌泉村・近呼村・笛舞村・歌別村・油駒村・歌露村[Utaroppu]・小越村・庶野村・猿留村[Saruru]→[二級町村制]幌泉村
1942地区再編
近呼[Chikayoppu]→近浦,笛舞→笛舞・近浦・大和,幌泉→幌泉・大和・新浜・歌別,歌別→歌別・新浜・東洋,油駒・歌露→東洋,小越→襟裳・東洋・庶野,猿留→目黒
1959幌泉村→[町制施行]幌泉町
1970幌泉町→[改称]えりも町
地名再編:幌泉→本町,襟裳→えりも岬
新ひだか町1906姨布村・辺訪村・幌毛村・本桐村・鳧舞村[Kerimai]・歌笛村→[二級町村制]三石村
1909下下方村・上下方村・中下方村・遠仏村・碧蘂村[Rubeshibe]・市父村・幕別村[Makunbetsu]・捫別村・目名村・農家村[Noya]・有良村[Ura]・春立村・婦蟹村[Fukani]・佐妻村[Same]・音江村・遠別村→[二級町村制]静内村
1923[二級町村制]静内村→[一級町村制]静内村
1931静内村→[町制施行]静内町
1938[二級町村制]三石村→[一級町村制]三石村
1951三石村→[町制施行]三石町
2006静内町・三石町→[新設合併]新ひだか町

渡島振興局管内

【市町村】
自治体名備考
函館市1454河野政通が宇須岸[Usukeshi]に「箱館」を築く
1457コシャマインが箱館を攻撃
1512ショヤ・コウシ[庶野訇峙]が箱館を攻撃.和人は亀田に撤退
1796高田屋嘉兵衛が松前三湊[松前・江差・箱館]のうち箱館を拠点とする
1802江戸幕府が箱館奉行所設置
1807蝦夷地が江戸幕府直轄地となる
1821蝦夷地が松前藩に返還される
1854江戸幕府が箱館を直轄領化
1855日米和親条約により箱館開港
1859日米修好通商条約により貿易港として箱館開港
1864箱館戦争
1879函館区設置
1899函館区・亀田村の一部→[道区制]函館区
1902鍛冶村・神山村・桔梗村・赤川村・石川村・亀田村一部→[二級町村制]亀田村
上湯川村・下湯川村・亀尾村→[二級町村制]湯川村
戸井村・小安村→[二級町村制]戸井村
銭亀沢村・根崎村・志苔村・石崎村→[二級町村制]銭亀沢村
1906臼尻村、熊泊村→[二級町村制]臼尻村
1919[二級町村制]亀田村→[一級町村制]亀田村
1919椴法華村→[二級町村制]椴法華村
1922函館区→[市制施行]函館市
1923[二級町村制]湯川村→[一級町村制]湯川村
1936湯川村→[町制施行]湯川町
1939湯川町→函館市編入
1959尾札部村・臼尻村→[町制施行・改称]南茅部町
1962亀田村→[町制施行]亀田町
1964尻岸内村→[町制施行]尻岸内町
1968戸井村→[町制施行]戸井町
1971亀田町→[町制施行]亀田市
1973亀田市→函館市に編入
1985尻岸内町→[改称]恵山町
2004亀田郡戸井町・恵山町・椴法華村・茅部郡南茅部町→函館市に編入
北斗市1443南部氏に追われた安東氏が道南十二館の一つ茂別館を築く
1879戸切地村野崎→濁川村に合併
1879有川村・戸切地村→[合併]上磯村
1879三谷村・三好村→[合併]谷好村
1880上磯村・谷好村・富川村・中野村・清川村→上磯村他4ケ村戸長役場設置
1880茂辺地戸長役場設置
1880大野村・市渡村・本郷村・文月村・千代田村・一本木村→大野村他5ケ村戸長役場設置
1881当別村・三石村→[合併]石別村
1881上磯村・吉田村→[合併]上磯村
1881濁川村・清水村→[合併]清川村
1885茂辺地戸長役場・石別村→[合併]茂辺地外1ケ村戸長役場
1900大野村外15か町村戸長役場→[一級町村制]大野村
1900上磯村・谷好村・富川村・中野村・清川村→[合併・一級町村制]上磯村
1906茂辺地外1ケ村戸長役場→[二級町村制]茂別村
1918上磯村→[町制施行]上磯町
1955茂別村→上磯町に編入
1957大野村→[町制施行]大野町
2006上磯町・大野町→[新設合併]北斗市
松前町1900福山城下町34町→[一級町村制]福山町
1915江良町村・原口村・清部村→[合併・二級町村制]大島村
1923大沢村・上及部村・荒谷村・炭焼沢村→[合併・二級町村制]大沢村
1923根部田・赤神村・札前村・茂草村・雨垂石村→[合併・二級町村制]小島村
1940福山町→[改称]松前町
1954松前町・大島村・大沢村・小島村→[新設合併]松前町
福島町1189奥州藤原家臣団,吉岡に落ち延びる
1457コシャマインによって道南十二館の隠内館が落城
1457コシャマインによって道南十二館の隠内館が落城
1573常磐井治部大輔藤原武衡ら折加内村移住
1624折加内[Orikanai]→[改称]福島
1809吉岡村に沖之口番所設置
1900福島村・白符村→[一級町村制]福島村
1909吉岡村・礼髭村・宮歌村→[二級町村制]吉岡村
1944福島村→[町制施行]福島町
1955福島町・吉岡村→[新設合併]福島町
知内町1205甲斐国より荒木大学が築城
1249-56蝦夷蜂起により荒木大学ら討死.黒川与兵衛らはホマカイにより助命
1432南部義政に追われた蝦夷管領安東氏が蝦夷に移る
1624知内が地頭制から名主制へ.
福島村の土門茂衛門が温泉発見
1656知内名主として福井太助,年寄として福井吉右衛門の名あり『大野土佐日記』.
1691戸門治兵衛が津軽より斉藤四郎を招聘し湯守とする
1704内海理左衛門の知内山運上金不納により,厚谷六左衛門政国・雑木山奉行新井田主計辰朝が寄合並を解任『福山秘府』.
1806松前藩士・田中明定ら30家が湯ノ里入地開墾.山崎宇之助・高野平右衛門・芦野多五郎・川村寅太郎・木村藤右衛門・土門作次郎らのみ残留.
1864札苅の西山粂五郎・西山長之助・安沢治左衛門・小林惣左衛門・西村長左衛門らが中ノ川沢を開拓.
1864札苅の西山粂五郎・西山長之助・安沢治左衛門・小林惣左衛門・西村長左衛門らが中ノ川沢を開拓.
1881福井県・山田慎が知内村牧畜会社設立.福井県人60余戸招致
1881福島村支村小谷石→[分立]小谷石村
1881知内村・小谷石村→知内村他一ヶ村戸長役場設置.田中明定が戸長に任命.
中ノ川・涌元・上雷・小沼・茅堀・萩砂里・湯ノ尻の字あり
1885林七郎兵衛・西出久吉・高島八百兵衛ら同志とともに来村.
1906小谷石村・知内村→[二級町村制]知内村
1967知内村→[町制施行]知内町
木古内町1457コシャマインにより道南十二館の中野館落城
1879木古内・泉沢・札苅三村戸長役場設置
1885庄内藩士が木古内鶴岡に集団移住
1902木古内村・釜谷村・泉沢村・札苅村→[合併・二級町村制]木古内村
1919[二級町村制]木古内村→[一級町村制]木古内村
1942木古内村→[町制施行]木古内町
七飯町1858八王子千人同心・秋山幸太郎ら入植
1869鹿部村の一部→[分立]軍川村
1879大川村・中島村→[合併]大中山村
七重村・飯田村→[合併]七飯村
1880七飯村・軍川村・城山村・藤山村・峠下村・鶴野村→七飯外五カ村戸長役場設置
大中山村・赤川村・石川村・桔梗村→桔梗村外三カ村戸長役場設置
1881藤山村・城山村→[合併]藤城村
1885大中山村→[編入]七飯外五カ村戸長役場
1902七飯村・大中山村・藤城村・軍川村・峠下村・鶴野村→[合併・二級町村制]七飯村
1907[二級町村制]七飯村→[一級町村制]七飯村
1957七飯村→[町制施行]七飯町
鹿部町1879鹿部村戸長役場開設
1906[二級町村制]鹿部村
1983鹿部村→[町制施行]鹿部町
森町1601上磯町有川より千歳末吉が鷲ノ木移住
1783鷲ノ木村を本村,森・蛯谷古丹・棒美・本茅部・石倉を支村として成立
1799砂原に幕府分屯陣屋設置
1858鷲ノ木村一部→[分立]森村・尾白内村
1868榎本武揚率いる幕府軍が鷲ノ木上陸.森・尾白内・砂原と移動し、四軒町・会所町・彦澗・松屋崎に台場設置
1880鷲ノ木村・蛯谷村・石倉村→鷲ノ木外二ヶ村戸長役場設置
1881森村・尾白内村・宿野辺村→森外二ヶ村戸長役場設置
1889鷲ノ木外二ヶ村戸長役場・森外二ヶ村戸長役場→森外五ヶ村戸長役場
1902宿野辺村・茅部郡森村・尾白内村・鷲ノ木村・蛯谷村・石倉村→[二級町村制]森村
1906砂原村・掛澗村→[二級町村制]砂原村
1907[二級町村制]森村→[一級町村制]森村
1921森村→[町制施行]森町
1970砂原村→[町制施行]砂原町
2005森町・砂原町→[合併]森町
八雲町1878旧尾張藩主・徳川慶勝が遊楽部[Yurappu]が82名を移住させる
1879山越内村・落部村→戸長役場設置
1881山越内村遊楽部・黒岩→[分立]八雲村
山越内村・八雲村→山越内村外一ヶ村戸長役場設置
落部村野田生・由追・沼尻→山越内村に編入
1902八雲・山越内村→[合併・二級町村制]八雲村
1902[二級町村制]八雲村→[一級町村制]八雲村
1915落部村→[二級町村制]落部村
1919八雲村→[町制施行]八雲町
1957落部村→[合併]八雲町に合併
長万部町1906[二級町村制]長万部村
1923[二級町村制]長万部村→[一級町村制]長万部村
1943長万部村→[町制施行]長万部町

檜山振興局管内

【市町村】
自治体名備考
江差町1900江差市街東新町外25町・五勝手村→[合併・一級町村制]江差町
1906泊村・田沢村・伏木戸村・柳崎村・鰔川村・小黒部村→[二級町村制]泊村
1955江差町・泊村→[新設合併]江差町
上ノ国町1902上ノ国村・木ノ子村・汐吹村・石崎村・小砂子村・大留村・北村→[合併・二級町村制]上ノ国村
1967上ノ国村→[町制施行]上ノ国町
厚沢部町1906俄虫村・赤沼村・土橋村・目名村・安野呂村・鶉村・館村→[二級町村制]厚沢部村
1963厚沢部村→[町制施行]厚沢部町
乙部町1902乙部村・小茂内村・突符村・三ツ谷村・蚊柱村→[合併・二級町村制]乙部村
1965乙部村→[町制施行]乙部町
奥尻町1906釣懸村・赤石村・青苗村・薬師村→[二級町村制]奥尻村
1941地名再編:
釣懸→奥尻・稲穂・宮津・球浦,赤石→赤石・湯浜,青苗→青苗・米岡・豊里,薬師→松江・湯浜
1966奥尻村→[町制施行]奥尻町
今金町1891会衆派・日本聖公会教徒約60戸が神丘に入植
1893今村藤次郎・金森石郎ら今金[インマヌエル]に入植
1894加藤政之助・勘助兄弟入植
1897瀬棚町の一部→[分立]利別村
1933地名再編:美利河・花石・宮島・中里・奥沢・住吉・今金・種川・稲穂・光台・御影・田代・白石・八束・金原・鈴金・豊田・神丘・鈴岡・日進・旭台
1947利別村→[町制施行・改称]今金村
せたな町1902瀬棚村・島歌村・虻羅村・中歌村・梅花都村→[二級町村制]瀬棚村
瀬棚村の一部→[分立・二級町村制]東瀬棚村
1902久遠村・湯尻村・上古丹村・太田村→[二級町村制]久遠村
1906太櫓村・古櫓多村・良瑠石村・鵜泊村→[二級町村制]太櫓村
1919[二級町村制]瀬棚村→[一級町村制]瀬棚村
1921瀬棚村→[町制施行]瀬棚町
1923貝取澗村・平田内村・長磯村→[二級町村制]貝取澗村
1953東瀬棚村→[町制施行]東瀬棚町
1955太櫓村・東瀬棚町→[新設合併]北檜山町
1958北檜山町地名再編:
太櫓→太櫓・共和・栄・若松・小川・二俣・富里,古櫓多→太櫓,良瑠石→太櫓・新成,鵜泊→新成
2005瀬棚町・北檜山町・大成町→[新設合併]せたな町

上川振興局管内

【市町村】
自治体名備考
旭川市1897旭川村→[分立]東川村
1898永山村の一部→[分立]東旭川村
1900旭川村→旭川町
1900永山村の一部→[分立]當麻村
1902旭川町・鷹栖村の一部→[一級町村制]旭川町
1906永山村→[二級町村制]永山村
1906東旭川村→[二級町村制]東旭川村
1909[二級町村制]東旭川村→[一級町村制]東旭川村
1914旭川町→[道区制]旭川区
1921[二級町村制]永山村→[一級町村制]永山村
1923[道区制]旭川区→[町制施行]旭川市
1924鷹栖村→[分立]鷹栖村・東鷹栖村・江丹別村
1942東旭川村朝日,千代田・愛宕の一部→旭川市に編入
1955神居村・江丹別村→旭川市に編入
1959東旭川村→[町制施行]東旭川町
1961永山町→旭川市に編入
1963東旭川町→旭川市に編入
1968神楽町→旭川市に編入
1971東鷹栖町→旭川市に編入
富良野市1899富良野村戸長役場設置
1903富良野村の一部→[分立]下富良野村
富良野村の一部→[改称]上富良野村
1915上富良野村の一部→[分立]山部村
上富良野村→[二級町村制]上富良野村
1919[二級町村制]上富良野村→[町制施行・改称]富良野町
1921[二級町村制]富良野町→[一級町村制]富良野町
1940山部村の一部→[分立]東山村
1956東山村→富良野町と合併
1966富良野町・山部村→[市制施行]富良野市

藩主家

【諸藩】
藩名藩主家石高
松前[福山]藩松前家1万石