鷹司 Takatsukasa

大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任することができた五摂家の一つ.

藤原北家嫡流の近衛家実[1179-1243]の四男の照念院関白・兼平[1228-1294]が祖.兼平の邸宅が鷹司室町にあったことが家名の由来.

戦国時代,鷹司忠冬[1509-1546]に嗣子が無かったため鷹司家は断絶の憂き目に.しかし,天正7[1579]年,関白・藤氏長者であった後明珠院・二条晴良[1526-79]の子・信房[1565-1658]が織田信長の勧めによって鷹司家の名跡を継いで鷹司家を復興.この鷹司信房の子・孝子[1602-1674]は江戸幕府第3代将軍・徳川家光の正室となった本理院.この関係から,孝子の弟・信平[1636-1689]は徳川家光に仕え寄合となる.第4代将軍・徳川家綱の代には,紀州藩主・徳川頼宣の娘・松姫を正室としたことで,松平の名乗り[鷹司松平家]を許され上野国・上総国に7000石の知行を与えられる.

江戸時代に,関白・鷹司兼煕[1660-1725]に嗣子なく,関白太政大臣・近衛家熙[1667-1736]の次男・房煕[1710-1730]を養子に迎えるも急死.房煕の弟・尚輔[1726-1733]が鷹司家を承継.しかし,この鷹司尚輔も幼病死.続いて,関白・太政大臣・後円成寺・一条兼香[1693-1751]の子・基輝[1727-1743]が鷹司家を承継.ところが,鷹司基輝も17歳で急死.再び,鷹司家は断絶の危機を迎える.

そこで,第113代東山天皇[在位:1687-1709]の第六皇子で閑院宮を創設した閑院宮直仁親王[1704-1753]と長祥院中野氏との間に生まれた淳宮をもって鷹司家を承継させた.淳宮は鷹司輔平[1739-1813]となり,ここに鷹司家は男性皇族が養嗣子として家を承継する皇別摂家となった.

系譜

歴代当主

鷹司兼平

鷹司基忠

鷹司兼平の長男.

鷹司兼忠

鷹司兼平の次男.

鷹司冬平

鷹司基忠の長男.

鷹司冬教

鷹司基忠の三男.

鷹司師平

鷹司冬平の子.

鷹司冬通

鷹司師平の子.

鷹司冬家

鷹司冬通の子.

鷹司房平

鷹司冬家の子.

鷹司政平

鷹司房平の子.

鷹司兼輔

鷹司政平の子.

鷹司忠冬

鷹司兼輔の子.嗣子なく鷹司家は1546年に断絶.

鷹司信房

二条晴良の子.

鷹司信尚

鷹司信房の子.

鷹司教平

鷹司信尚の子.子の鷹司信子は江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の正室.

鷹司房輔

鷹司教平の子.

鷹司兼煕

鷹司房輔の子.

鷹司房煕

近衛家熙の次男.

鷹司尚輔

近衛家熙の三男.

鷹司基輝

一条兼香の子.

鷹司輔平

閑院宮直仁親王の第四皇子.鷹司家が皇別摂家となる.

鷹司政熙

鷹司輔平の子.

鷹司政通

鷹司政熙の子.

鷹司輔熙

鷹司政通の子.

鷹司熙通

九条尚忠の子.公爵.

鷹司信輔

鷹司熙通の子.

鷹司平通

鷹司信輔の子.

鷹司尚武

鷹司信輔の次女・章子[Fumiko]と大給松平家の松平乗武の子.鷹司平通に嗣子が無かったために,鷹司家を承継.

関連氏族

鷹司松平家/鷹司室町家/奥能登鷹司家