荒居山高徳寺_東京都中野区_浄土宗 江戸時代中期の朱子学者、新井白石と号した新井勘解由君美の墓がある。 新井白石は木下順庵のもとで朱子学を学び、その師の推挙で甲府宰相徳川綱豊に仕官する。綱豊は宝永6(1709)年に将軍家を継ぎ家宣となる。そして、間部詮房とともに将軍を補佐する。幕閣にある間に武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令施工などを実施。行政官として以外に、学者として日本古代史に学問のメスを入れたことで知られる。