夏目漱石(1867-1916)が生まれたのが早稲田。漱石は牛込馬場下、これが現在の早稲田界隈に当たるのだけれども、そこの名主夏目家に生を受けた。この馬場下には11の町があり、放生寺門前もその中に入る。
11の町を束ねる夏目家の力は相当なものであり、そもそも喜久井町という地名も夏目家の井桁に菊の紋に由来するのだとか。しかし、現在、この界隈で夏目家の往時を偲ぶものは、この記念碑だけとなっている。この地には牛丼屋、米国のBSE騒動の関係で輸入が止まり、もはや牛丼屋が牛丼屋ではなくなりつつあるが(2004/2)、その牛丼屋に入っていく人も入り口の横に立つ文豪漱石の記念碑には目もやらない。時代の流れと言うべきか。
漱石は、夏目小兵衛直克と千枝の間の末っ子として生まれ、末っ子ということもあって四谷の古道具屋へ里子に出されている。すぐに夏目家に戻り、2歳の時に内藤新宿(現在の新宿)の名主塩原昌之助の養子として、この地を離れた。しかし、22歳の時、何だか2が続くところが意味有り気であるけれども、その22歳の時に再び塩原家から夏目家に戻る。これはもう引力とでも言うべきかもしれない。
その後に、早稲田の地が近代文学に果した役割を考えると、やはり引力なのかもしれない。 |