補陀洛山寺(紀州)
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熊野那智大社へと至る道の入り口にある比叡山延暦寺を総本山とする天台宗山門派の寺院。大社からの帰りに「蒲鉾屋」に立ち寄り、紀州ならではの品々を幾つか購入。少し気になったのがウツボの揚げたもの。これは気にはなったが、この日は買うのを躊躇。
さて、補陀洛山寺。ここは、人々が生きたまま海の彼方の観音浄土、補陀洛山へと向かった補陀洛渡海で知られる寺。
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その渡海に使われた船が境内に展示されていた。上の写真がそれ。見て分かるように小さな船で、その性格上、中から出る出口はない。創建は青岸渡寺と同じくインドの裸形上人と伝える。歴代の和尚は補陀洛渡海を求められたのだという。
茂みを少し歩き、滑りやすい道を登った裏山には、平家一門の二位尼、平 時子、平 維盛の供養塔がある。
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[平 維盛 供養塔]
維盛は寿永3(1187)年27歳で勝浦の山成島で入水自殺したことになっている。ところが、維盛は入水せず山成島から色川、大野と落ち延び、色川村藤綱にて53歳の生涯を終えたという言い伝えがある。
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