日和佐城址

徳島は海部にある城。天正初期(1570年代)に日和佐肥前守が阿波に侵攻しつつあった長宗我部元親(1539-1599)を防ぐために築城。渭津城とも言われた。

元親の弟で阿波侵攻の先鋒であった香宗我部親泰(1543-1593)の猛攻を受けて落城。

後に、日和佐肥前守・権正父子は香宗我部親泰に請われて土佐に移住。その際、権正は名を濱五郎兵衛と改めた。ところが、関ヶ原合戦後、長宗我部氏は没落して土佐は山内一豊の領地となる。ここに至って、阿波の蜂須賀家政は濱五郎兵衛に故郷である日和佐への帰住を勧められ戻ってきている。

この城は模擬天主だけであることから当初は立ち寄る予定は無かった。しかし、高知の室戸へと向う途上の道の駅で休憩中に見ると余りにも近くにあったために立ち寄った。模擬天主は兎も角として山上からの港の眺めは素晴らしいものだった。


2013年4月29日訪問


四国の城館