不相城址

現在は蒲郡プリンスホテルがある地が不相城があった地。

天正年間(1573-92)に、鵜殿長成が築城した。鵜殿氏は藤原実方の子孫とも熊野別当湛増後裔とも伝わる。鵜殿という名字は紀伊新宮の鵜殿に由来するという。『吾妻鏡』によると、竹谷・蒲形荘は熊野社領とある他、周辺には勝善寺、大宮神社、神倉神社など熊野神社と関わりのある寺社がある。おそらくは、この辺りの事情と鵜殿氏の出自には何らかの関係があるのだろう。

兎も角も、三河国衆として、鵜殿氏は神ノ郷・下ノ郷・不相・柏原を勢力範囲としていた。桶狭間以降、同じく今川被官であった松平氏と鵜殿氏は蒲郡地域を巡って争うようになる。

特に、松平本家に忠実な竹谷松平氏は鵜殿氏と勢力圏が重なっていた。その当時の鵜殿氏の当主は鵜殿長照。鵜殿長照は、今川義元の子・氏真とは従兄弟の関係。

1562(永禄5)年、この鵜殿長照の居城・上ノ郷城を竹谷松平清善は落城させる。

この時、徳川家康は長照の子を人質とし、駿府に人質として拘留されていた築山殿と信康を取り戻した。

その鵜殿長照の父・鵜殿長持の弟・長成が守ったのが不相城。下ノ郷鵜殿氏と柏原鵜殿氏は本家を離れ徳川家康に付いたのに対し長成は最後まで今川方として戦う。

そして、本家の上ノ郷城が落城すると不相城を棄て吉田城に走った。