Histoire du château et du manoir Japonais
1186(文治2)年、惟宗忠久こと、島津忠久が薩摩・大隅・日向三国の地頭職に任ぜられた際に、家臣の本田貞親を派遣し三州支配のために築城。
後に島津氏が下向し城に入った。いわば、島津氏発祥の地。