雫石城址
岩手の盛岡の隣の雫石にある古城址。雫石と盛岡の繋温泉の間には御所湖という人造湖が横たわっている。その御所という名前は、この雫石城に由来する。今回は、繋温泉で一泊した後、朝食を小岩井農場で戴き、その足で雫石駅にほど近い雫石城址へと足を伸ばした。
現在は雫石八幡宮となっている地は、鎌倉時代に平家の一族である戸沢氏によって築城された。戸沢氏といえば、山形の新庄城址と歴代藩主の廟所を今年の8月に見てきたばかり。その戸沢氏は鎌倉時代には源頼朝に従軍して奥州藤原氏を討伐した功績によって所領を得た千葉、工藤、南部ら諸氏に囲まれて細々と命脈を保った。南北朝時代には戸沢氏は雫石氏を名乗り、南朝方として北畠顕信を擁して、足利方である石堂氏と闘った。そして、この時、北畠顕信が雫石城を拠点とした。これが、雫石城が雫石御所と呼ばれる所以である。
しかし、北畠顕信が敗れ出羽へと落ち延びると、戸沢氏もこれに従った。奥州総大将・石塔義房が足利尊氏との対立によって解任されると、畠山国氏と吉良貞家が奥州管領として下向。更に、観応の擾乱で足利尊氏・直義兄弟が対立すると、奥州には吉良満家・畠山国詮・石塔義憲・斯波家兼の4人が奥州管領として並び立つようになる。この時期に、北畠顕信が再び侵攻してくるも、一時的なものとなる。やがて、雫石城の周囲は斯波氏によって制圧されていった。雫石城も斯波詮貞、詮貴、久詮の3代の雫石斯波氏の居城となった。
東北の城館