牛込城
神楽坂の光照寺の一帯は北条氏康の家臣・大胡勝行の居館の址と言われている。
この写真は2002年に最初に購入したデジカメで撮影したものなので見劣りがする点はご容赦。
大胡氏は秀郷流足利氏族であり、かつて源姓足利氏と争った氏族の末裔。大胡勝行は扇谷上杉朝興に仕え上野大胡城の城主であった。
しかし、扇谷上杉朝興が河越城で病死した1537(天文6)年の後、1541(天文10)年に金山城主横瀬泰繁による圧迫を受け、北条氏康を頼って武蔵国に逃れた。
その知行地が牛込と呼ばれた地であり、1555(天文24)年には重行の子の勝行は、姓を牛込氏に改めている。勝行の子・勝重は北条氏政・氏直の二代に仕え、北条氏滅亡後は徳川家康の旗本となる。
その際に牛込城は廃城となった。
東京23区の城館