石浜城
千葉氏の重臣である原胤房は同僚である円城寺尚任と所領を巡って争いを生じていた。1454(享徳3)年に鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺し享徳の乱が勃発。千葉氏の当主である千葉胤宣と円城寺尚任が上杉方に与した。所領争いに危惧を抱いた原胤房は鎌倉公方足利成氏方に与し、千葉氏一門の馬加康胤とともに千葉城を急襲。千葉宗家を滅ぼした。
胤直の弟胤賢の遺児である実胤・自胤は千葉氏庶流で、美濃に所領を有する室町幕府奉公衆の東常縁に擁立され市河城に拠って馬加康胤を討伐。
しかし、東常縁が所領に去ると、古河公方足利成氏が馬加康胤の子千葉(岩橋)輔胤らを率いて市河城を攻略。将軍方の山内・扇谷両上杉氏の救援空しく実胤・自胤兄弟は武蔵石浜城に落ち延びた。
石浜城は天正年間(1573-1591)に、北条氏繁の三男で武蔵千葉氏を承継した千葉胤村を最後の城主として廃城となった。
東京23区の城館