大宝寺城
1588(天正16)年に、上杉氏家臣の村上城主・本庄繁長によって落城。以降、上杉氏の支配下に置かれる。1601(慶長6)年に関が原の戦功により庄内3郡を加増された最上義光が隠居城として用いた。この時に大修築が施され、名も鶴ヶ岡城と改められた。
1622(元和8)年に最上氏が改易。信濃松代から酒井忠勝が庄内14万石で入封し居城とした。
Histoire du château et du manoir Japonais
1588(天正16)年に、上杉氏家臣の村上城主・本庄繁長によって落城。以降、上杉氏の支配下に置かれる。1601(慶長6)年に関が原の戦功により庄内3郡を加増された最上義光が隠居城として用いた。この時に大修築が施され、名も鶴ヶ岡城と改められた。
1622(元和8)年に最上氏が改易。信濃松代から酒井忠勝が庄内14万石で入封し居城とした。