芦名城
三浦義明の弟・芦名為清の居城との伝承を持つ城。三浦義明は源義朝の後ろ盾になった人物であり、その遺児である源頼朝の挙兵時には衣笠城に籠城して平家方の畠山重忠と激闘を繰り広げ討死した人物。芦名城は衣笠城の支城の一つ。
芦名為清の孫の石田為久は木曾義仲を粟津の松原で討ち取った戦功によって相模国大住郡糟屋庄石田郷に所領を得ている。ともあれ、芦名城を本拠地としたとされる芦名氏は三浦義明の七男・佐原義連を初代とする会津芦名氏とは一族ではあっても別の流れである。
上記の左手にある大楠小学校が御館と呼ばれている地であり平常時の館の跡と考えられる。右手にある小高い丘が城山と呼ばれる地であり、ここに芦名城があったとされる。
2013年10月12日訪問
神奈川県の城館