白石城
江戸時代の元和一国一城令によって1万石以上の藩内一城が原則となる。しかし、実際には例外があった。仙台藩においては白石城が例外に当たる。
この城は伊達家臣・片倉家の居城。
その起源は古く、後三年の役(1083-87)の際に源義家に従った刈田経元が刈田・伊具両郡を得て築城したのが始まりという。1546(天正14)年の時点では刈田経元の子孫である白石実綱が城主であった。伊達家の支配下、1586年に白石宗実が二本松の塩松城に移ると屋代景頼が城主として入った。ちなみに、この白石城は伊達家の天文の乱では伊達晴宗が拠点とし父・稙宗と刃を交えている。
その後、豊臣秀吉による奥州仕置によって、蒲生氏郷の家臣・蒲生郷成が城主となっている。1598(慶長3)年に蒲生家に代わって上杉景勝が会津に入ると上杉家臣・甘粕景継が白石城主となった。
ところが、関ヶ原合戦時に伊達政宗が白石城を攻略。伊達政宗の叔父・石川昭光を経て片倉小十郎景綱が城主となり、以降、明治維新に至るまで片倉家が城主を勤めた。