掛川城
平成6年の復元ながら外観とともに内部も、ずっとあったかのよう。掛川と言えば山内一豊と千代のお城というイメージがある。しかし、掛川城の歴史は古く文明年間(1469-86)に駿河国の今川義忠が朝比奈泰熈に築かせたのが始まり。1560年に今川義元が織田信長によって桶狭間で討たれると、今川氏真が掛川城に篭城。徳川家康が攻め今川軍と和睦の上開城。石川家成が城主として入った。
豊臣秀吉の時代になると家康の関東転封に伴って山内一豊が封じられた。一豊の時代に天守閣が築かれ、現在、復元されている姿が整えられた。一豊は関が原前夜に掛川を家康に差し出して土佐一国を得たことは有名なエピソード。東海の名城と謳われた掛川城の天守閣は松平氏、太田氏などに受け継がれたが、1854年の安政の大地震によって倒壊。1869(明治2)年には廃城となってしまった。
そして、現在では聚楽第を参考とした白漆喰塗り籠め、大阪城天守閣を模範とした黒塗りの廻縁・高欄は見事。
2006.06.10訪問。