掛川古城
駿河守護今川氏親が1497(明応6)年から1501(文亀元)年頃に朝比奈泰煕が今川氏親から命ぜられて遠州支配の拠点として築いた。ちなみに、この駿河朝比奈氏は和田義盛の三男朝比奈三郎義秀の後裔との言い伝えがある。朝比奈義秀は勇猛果敢な武士。鎌倉時代に執権北条義時と闘い、一族郎党が由比ガ浜で殲滅された和田合戦時には最後の最後まで北条氏率いる幕府軍に打撃を与えた。しかし、由比ガ浜に追い詰められると、残った兵を引き連れて所領の安房朝夷郡を目指して海に漕ぎ出したという。その後の消息は不明。
掛川城主朝比奈氏は駿河国益頭郡朝夷郷を直接の発祥地とする。
しかし、この朝夷郷が朝比奈三郎義秀に由来するものなのか否かは義秀のみぞ知る。ちなみに、藤原堤中納言兼輔の末裔の堤公国が駿河国司となった後に駿河朝夷郷に土着したことが始まりとする言い伝えもある。