松平(郷敷)城

松平東照宮の鎮座する松平氏館址のすぐ近く、丘を一つ越えた場所にある松平氏初代の親氏が築城したとされる室町時代の典型的な山城。

最初、松平氏館址からハイキングコースの標識に従って1キロほど歩いた。すると、畑に降りてしまい途方に暮れる。そこに案内板が無かったからだ。

そこで、ハイキングコースを引き返し松平氏館址に戻り、地図に記された道に従って、松平城址を目指した。

何のことはない。城址に着いてみて、眺めてみれば、先ほど途方に暮れた場所が見える。傍まで来ていたということになる。

この城から松平氏が周辺に雄飛していったかと思うと感慨も一入。更に、ここに辿りつくまでかなり歩いたことを考えるともう一入。この城は別名を郷敷城とも呼ばれた。築城されたのは応永年間(1394-1427)と考えられている。

松平親氏の弟で2代目の泰親が3代信光とともに松平郷から岩津に侵出し本拠地を移すと、信光の兄弟の信広の居城とされた。この信広こそが松平郷松平(太郎左衛門)家の祖である。

江戸時代にも松平郷に留まって徳川家から442石の交替寄合として遇せられた。さて、城は主郭の西に三段の曲輪が配置されている。文禄年間(1592-1595)に破却されたとされるが詳らかではない。


三河の城館