大可島城

1342年に足利軍と南朝軍が燧灘で激戦を繰り広げた。その際、南朝軍が籠城した城。

後に、村上水軍が拠点の一つとしたが、鞆城の築城によって大可島は陸続きとなり廃城となった。

島であった頃の痕跡は、海岸から突き出している丘のような地形から知る事が出来る。

地形というのは面白いもので、人によって大きく手を加えられていても、どこかに名残が刻まれているもの。