黒石城(烏城)
津軽藩第2代藩主・津軽信枚と徳川家康の養女である満天姫との間の子である津軽信英(1620-1662)が津軽郡の黒石・平内と上州大館に5000石を分知されたことに始まる。
分知当初は1万石に満たない家格であったために城とは称さずに陣屋と称した。
しかし、1809(文化6)年に津軽親足が北海道警備の功績によって大名となった。
御幸公園の南側にに堀切を隔てて蝦夷館と呼ばれた郭が残っている。
訪問当日は風が強かったにも関わらず、この廓部分に花見の人々が繰り出していた。
【蝦夷館】
2010年5月2日訪問。
東北の城館