稲田寺の藤
2011年4月29日、南伊豆は下田にて。
唐人お吉として知られるお吉の夫であった鶴松こと川井又五郎の墓があることで知られている。非常に美人であったお吉と将来を約束した鶴松は引き裂かれる運命を前にして、この寺で語らった事もあったのだろうか。
稲田寺はロシア使節のプーチャーチンとの交渉に当たった川路聖謨(1801-1868)が宿泊したことでも知られている。川路聖謨と言えば、江戸城開城の当日に自害し徳川武士最後の花と言われた人物だ。
過日録的寫眞論 by 竹内信春
2011年4月29日、南伊豆は下田にて。
唐人お吉として知られるお吉の夫であった鶴松こと川井又五郎の墓があることで知られている。非常に美人であったお吉と将来を約束した鶴松は引き裂かれる運命を前にして、この寺で語らった事もあったのだろうか。
稲田寺はロシア使節のプーチャーチンとの交渉に当たった川路聖謨(1801-1868)が宿泊したことでも知られている。川路聖謨と言えば、江戸城開城の当日に自害し徳川武士最後の花と言われた人物だ。