比企一族の悲しみ

鎌倉の妙本寺にて。

日郎が1260(文応元)年に開山した日蓮宗妙本寺は比企能員の屋敷跡。

比企能員は源頼朝を養育した比企尼(比企掃部允妻)の甥。源頼朝を継いだ2代将軍源頼家の妻が比企能員の娘・若狭局であり、その間に生まれたのが一幡。

北条氏は頼家が重篤に陥った機会に、この一幡と頼家の弟で北条氏に養育されていた千幡(実朝)との共同統治体制を目論む。

この動きを察知した比企一族は北条時政打倒を計画。

しかし、北条時政は比企能員を敢えて自邸に招き暗殺。時を移さず、畠山・三浦・和田氏とともに比企邸を攻め族滅させた。

写真は比企一族の墓。比企能員の末子の比企大学三郎能本が建立した。

撮影日時:2004年2月、絞り値:f/2.8、露出時間:1/30秒、焦点距離:7mm、最大絞り:3、撮影機種:OLYMPUS C4100Z

収録フォルダ:0402_鎌倉2