伝上杉憲方墓
鎌倉には7つの切り通しがある。鎌倉自体が大きな要害であり城なのである。その切り通しの一つに極楽寺切通がある。そこに、関東管領上杉憲顕の子である上杉憲方とその妻の墓がある。
上杉憲方は関東管領として鎌倉公方足利氏満に仕えた。同じく関東管領であった兄の憲春は、京都における管領細川頼之の失脚の混乱に乗じて攻め登ろうとした鎌倉公方足利氏満を諫めて腹を切った。
この時代の政治は命がけであった。
憲方はよく氏満を補佐しつつ、京都にあった将軍足利義満との間を取り持った。
七層塔が憲方の墓で隣の五層塔が妻のものとされる。命がけの政治の時代を乗り切った男を支えた妻とはどのような人物であったのか。墓はただ寄り添うのみである。
撮影日時:2005年11月20日、絞り値:f/2.8、露出時間:1/30秒、焦点距離:7mm、撮影機種:C4100Z