番場蓮華寺
1333(元弘3)年5月9日、この滋賀の番場の蓮華寺において北条仲時の軍勢430余名が悉く自刃した。北条仲時は鎌倉幕府13代執権北条基時の子。六波羅探題北方として倒幕の挙兵を行った後醍醐天皇を攻め負かし隠岐島へと配流している。
しかし、足利高氏が倒幕側に寝返り六波羅探題に押し寄せると防御仕切れず、鎌倉を目指して、六波羅探題南方の北条時益とともに、光厳天皇や花園上皇を伴って京都を脱出。
もはや、情勢は逆転し鎌倉幕府軍の周囲は敵に囲まれていた。そのため、北条時益は近江において地元の国人によって討ち取られている。北条仲時は番場峠を越えることを試みる。
しかし、足利高氏の朋輩であり、近江を本拠地とする佐々木道誉の軍勢によって行く手を遮られる。北条仲時の軍勢は蓮華寺に立て籠る。そして佐々木道誉は蓮華寺を包囲した。京都を出る時は、2000余騎だった六波羅勢も、この時点で700余名となっていた。命運尽きた事を悟った北条仲時は六波羅勢に対して解散の命令を発し切腹した。これに続いて、糟谷宗秋を始めとする北条一門に連なる武士達432名が切腹したという。
2009年3月20日訪問