音無神社
伊豆の伊東にある豊玉姫を祀る神社。
というより、流人時代の源頼朝と伊東祐親の娘・八重姫が逢瀬を重ねた場所。音無という名の由来は、頼朝が瀬音が騒々しいと怒ったところ、音が止んだので「ならずの瀬」、「音無しの森」と呼ばれたことにあるとか。愛する八重姫と甘い会話を交わしている時には瀬音でさえも煩く感じるというのは納得出来る。
この甘い恋は長くは続かなかった。伊東祐親は内裏大番役として京都に行く直前には付き合うことだけは認めていたという。坂東武士にとって流人とは言えども清和源氏の嫡流という身分は一族の地位の向上に役立つと考えたからである。加えて、伊豆国の次官であり本家でもある狩野家への対抗意識もあった。
ところが、伊東祐親は内裏大番役を務めるうちに平清盛によって伊豆国奉行に任ぜられる。それが、伊豆に戻ってみると、娘の八重姫と源頼朝の間に千鶴丸という子が出来ていた。
これでは、折角、地位を授けてくれた平清盛に合わせる顔がない。京都へ行く前と伊豆に帰ってきた後では立場が違うのだ。伊東祐親は郎党に命じて千寿丸を殺害し、源頼朝を追討する兵を挙げ八重姫との間を引き裂いた。窮地に追い込まれた源頼朝を匿ったのは狩野家、伊東家に次ぐ勢力を誇っていた北条家。
ところで、引き裂かれた八重姫は、後に源頼朝が北条政子と結ばれたことを知り自ら命を絶った。伊東祐親も、また、幕府を打ち立てた源頼朝に仕えることを潔しとせず囚われていた三浦邸にて自害した。歴史の蔭に悲しい物語がある。
2009年1月11日訪問。
2011年10月8日再訪問。