こうせん塚
伊豆の下田にある江戸時代にのどの神様と慕われた老婆を祀った塚。老婆は信州で城勤めをしていたというが晩年に下田の地に移り住んだという。伊豆半島の穏やかな気候に惹かれたのだろうか。当時の下田では喉の病が蔓延。老婆は長い城勤めで身に付けた養生術をもって下田の人々の世話をした。こうして老婆は喉の神様と慕われるようになったのである。
老婆は、また、「こがせん」好きであったために「こうせん婆さん」と呼ばれたという。この「こがせん菓子」は「こうせん(香煎)菓子」の事だろうか。
大正時代、塚の上にお堂を建てようとの機運が高まる。時代は代わっても老婆の記憶は人々に刻まれていたのである。そして、昭和初めに、下田の町全戸900戸の人々、および、近在の村々からの合わせて1507戸の芳志によって、塚の上に堂宇が建立された。