唐人お吉の墓

日本総領事タウンゼント・ハリスに仕えた唐人お吉こと斉藤きちの墓所。今の愛知県である知多郡内海に舟大工市兵衛の二女として生まれ、家族とともに4歳の時に下田に移住。お吉は17才でハリスの目にとまり、下田奉行所支配頭取・伊差新次郎の斡旋によって総領事館に奉公に上がる。この時、幼馴染の鶴松と結婚の約束をしていたともされる。ハリスのもとへと通ったのは僅かな期間。その後は「唐人」と呼ばれ蔑まれたために下田を去った。横浜で鶴松と偶然に再会したお吉は鶴松と結婚、下田に戻り髪結をするが世間からの眼差しは冷たく、夫婦の中も悪化し、離婚。再び下田を離れ三島で芸妓となるが、再び下田に戻って小料理屋安直楼を開業するも、世間の嘲笑と侮蔑は止まず、店の経営は傾き破産。

48歳の時に稲生沢川渕で身を投げた。