大浦山長楽寺
伊豆下田にある1555年に再興された真言宗の古刹。ここは、1854(安政元)年に日露和親条約締結の舞台となった。日本側の全権は筒井政憲と川路聖謨。川路は日田代官所の内藤吉兵衛歳由の子。母親は筑後高橋氏の流れを汲む幕臣高橋誠種の娘。小普請組の川路三佐衛門光房の養子となり川路姓となる。後に新政府軍による江戸総攻撃の予定日に割腹した事から幕府に殉じた人物として知られる。一方の筒井政憲は旗本久世広景の次男であり、戦国大名筒井氏の末裔である旗本筒井正盈の養子となり長崎奉行、南町奉行などを歴任した人物。
この二人と対峙したロシア使節はプチャーチン海軍中将。長楽寺を舞台としての数度の交渉の結果、日露和親条約が締結される。これにより。択捉島、国後島、歯舞島、色丹島は日本領。得撫島以北の千島列島はロシア領。樺太島は日露両属とされた。
長楽寺は1855年には米国使節アダムス中佐と応接掛井戸対馬守との間で日米和親条約批准書が交換された場所でもある。