吉田松陰投宿跡(岡村屋跡)
吉田松陰と金子重輔が下田で宿泊したという岡村屋の跡。現在は下田屋という名前で営業している。
1854(安政元)年に吉田松陰と弟子の金子重輔は柿崎弁天島から小舟を漕ぎ米艦ポーハタン号に迫るもペリーに拒絶され渡米を断念。自首して宝光院長命寺(廃寺)に拘禁された。そして江戸伝馬町へと送られた。金子重輔は長門国阿武郡紫福村の商人・茂左衛門の子。長州藩邸の雑役として働いている時に吉田松陰と出会って弟子入りしている。吉田松陰は伝馬町に送られたが、金子重輔は萩に送還され岩倉獄に拘禁中に病死した。
血気盛んな子弟二人は下田の宿で何を語らったのだろうか。