順徳天皇火葬塚

鎌倉時代の承久の変に敗れて、順徳天皇は1221年に佐渡に配流となった。京都へと戻ることを切に願ったが遂に赦されることなく、22年間の歳月を島で過ごし、1241(仁治3)年に崩御。佐渡の、この地において火葬され、遺骨は藤原康光によって京都に持ちかえられ、後鳥羽帝の墓所の脇に葬られた。火葬場ではあるが御陵と同じ扱いを受けている。当日、ここに大きな蛇が木を登っていた。火葬塚を守護しているのやもしれない。