源頼朝公墓所
現在は白旗神社となっている大倉法華堂の裏山にある。石塔は高さ186センチで五層。
この石塔は鎌倉時代に建立されたものではない。
江戸時代に、墓所の荒廃を憂いた第25代島津家当主・島津重豪が勝長寿院の多層塔を移築して再興したもの。勝長寿院は、源頼朝が平治の乱で討死した父・源義朝のために建立した寺院。そして、島津家は源頼朝の子・忠久を祖とする。その島津家が祖先の墓所を、祖先が父の墓所として建立した地の塔をもって再興した。
再興された塔は平成に入ってから何者かによって破壊された。旧に復するために雛形塔が作成され、それをもとにして復旧した。
その際の雛形塔は鎌倉市民によって鹿児島の島津家ゆかりの神社である鶴嶺神社境内に源頼朝公墓所再興報恩塔として贈られた。
2002年11月訪問。