牛島太子堂
849(嘉祥2)年に比叡山四祖である慈覚大師円仁(794-864)が故郷の下野国大慈寺へ途上、聖徳太子自作の太子像を安置したことが牛島太子堂の始まりとされている。
『葛西志』によるとかつては現在は隅田公園となっている小梅村水戸家御蔵屋敷の辺りにあったという。1662(寛文2)年に現在の地に移転したという。
江戸時代には中の郷元町には天台宗一道寺(長勝寺)、真言宗愛染堂、太子堂と並んでいて、太子堂は中ノ郷大師堂とも呼ばれていた。
過日録的寫眞論 by 竹内信春
849(嘉祥2)年に比叡山四祖である慈覚大師円仁(794-864)が故郷の下野国大慈寺へ途上、聖徳太子自作の太子像を安置したことが牛島太子堂の始まりとされている。
『葛西志』によるとかつては現在は隅田公園となっている小梅村水戸家御蔵屋敷の辺りにあったという。1662(寛文2)年に現在の地に移転したという。
江戸時代には中の郷元町には天台宗一道寺(長勝寺)、真言宗愛染堂、太子堂と並んでいて、太子堂は中ノ郷大師堂とも呼ばれていた。