道三塚

岐阜にある戦国時代の雄である斎藤道三の墓所。道三は嫡子である斎藤義龍を廃嫡し、弟の孫四郎を嫡子とし、同じく弟の喜平次にも名門の一色家を相続させる。これに反発した義龍は叔父の長井道利とともに日根野弘就に命じて孫四郎と喜平次を暗殺。父の道三を追放。

1556(弘治2)年4月18日、道三は旧土岐氏の勢力を味方に付け、長良川にて義龍と対峙。しかし、義龍の軍に敗れ軍兵の大半を失う。20日、道三は城田寺へと退却しようとしたところを長井忠左衛門、小牧源太、林主人によって討ち取られた。

道三の遺体は崇福寺の西南に埋葬されたが、長良川の洪水で再三流された。現在、道三塚と呼ばれている供養塚は1837(天保8)年に元の塚を移設したもの。