カメラ・オブスクーラ
ラテン語でカメラが箱とか小部屋、オブスクーラは暗いという意味。
起源を遡ると、遡りすぎてどうするのって、言われそうだけど、兎に角、起源らしきものを求めると、ギリシアの哲学者のアリストテレスに行き当たるっていうことになっている。
アラブ世界でも、この原理は知られていたというから、古いとは言えます。
暗い部屋の小さな穴に差し込む日光によって、壁に外の景色が上下左右逆さまに映し出されるという、この原理は、後に画家達がその像をなぞることで正確な描写を得るという具合に利用されるようになります。
画家達に利用されたカメラ・オブスクーラという仕組みは13世紀のヨーロッパで発明され、それが改良されて穴にレンズを埋め込むようになる。
加えて、絞りなんかも付け加えられるようになると、これはもうカメラ。ということで、カメラの原型がカメラ・オブスクーラ。
移った景色を定着させるということに成功したのは、フランスのニエプス(Joseph Nicephore Niepce)で1826年のこと。この世界初とされるヘリオグラフ(Heliograph)と呼ばれるアスファルト写真の撮影には6-8時間の露光が必要だったとされています。
続いて、同じくフランス人のダゲール(L.J.M.Daguerre)が翌年に銀版にヨード臭素の蒸気をあて画像を写し留める、銀板写真(daguerreotype)の実験に成功。1839年に科学アカデミーに報告しています。ダゲレオタイプと呼ばれるカメラの誕生です。
銀板写真はアスファルト写真と違って20分から30分の露光で十分だったそうです。
蛇足ですが、日本にダゲレオタイプが伝わったのは1848年。
最後の将軍徳川慶喜(1837-1913)は大のカメラ好きだったことで知られていますね」