- 1644年:漢画の祖、逸然性融(1601-1668)が来日.正面向きの顔貌を濃厚な陰影法を用いて人物の表情を写実的に表現する黄檗画像を伝える.中国において肖像画は「伝神写照」ないし「写真」と呼ばれ写実性が重要視されていた.河邨若芝、渡辺秀石などの長崎画壇は逸然らの漢画派の影響を強く受ける.
河邨若芝は曾我蕭白、伊藤若冲に影響. - 1654年:逸然性融の招請によって隠元隆K(1592-1673)来日.画家揚道真が長崎の喜多宗雲、喜多道矩・元規父子に黄檗画像を伝授.
- 1697年:長崎漢画派始祖・渡辺秀石が唐絵目利に任命される.後、1699年に広渡家、1736年に石崎家、1766年に荒木家が唐絵目利に任命.
- 1743年:奥村政信が「芝居狂言浮絵根元」にて浮絵を始める.浮絵とは桜井嵩鶴の『嵩鶴画談』(1830-40)によれば「和蘭の画法を省略」したもの.屋内描写には西洋の線遠近法、屋外描写には平行遠近法を用いることを特徴とした.
- 1759年:円山応挙が眼鏡絵を描く.
- 1767年:歌川豊春(1735-1714)が江戸に進出.大田南畝は『浮世絵類考』において「豊春近来浮絵を錦画に多くかき出せり.宝暦の頃の浮絵に勝れり」と記す.豊春は「隅田川中洲風景」、「不忍池」、「新版浮絵忍ヶ岡図」などの浮絵を制作.葛飾北斎や歌川広重に大きな影響を与える.
posted by N.Takeuchi.
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