平塚神社

平塚明神並別当城官寺縁起絵巻によると秩父平氏の豊島近義の平塚城があった所と伝えられる。それ以前にも、平安時代末期には豊島郡衙が置かれていたという。

源 義家が後三年の役の帰路に逗留し十一面観音像と鎧を近義に下賜。近義は義家の死後に城内に塚(現在の甲冑塚)を築いて平塚として祀った。これが平塚神社の始まりとされている。

鎌倉時代、室町時代を通じて豊島氏の居城であったが、1478(文明10)年に豊島泰経が扇谷上杉定正の家宰太田道潅(1432-1486)によって攻め滅ぼされたことで幕を下ろした。


社殿の裏にある平塚の由来となった甲冑塚あるいは冑塚


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