大日堂仁王門

 この門は歴史が古い。仁王門の中にある仁王像は鎌倉末期の正和年間(1312-17)の作。

ここから多摩川を越えた所には後北条氏の居城として知られる滝山城がある。堂宇は、滝山城築城の際に、城の鬼門除けとして移築された。そもそもは、天暦6(952)年の創建という。

 その後、荒廃したというが、滝山城を支配した北条氏照の臣下の石川土佐守が眼病平癒の御礼として堂宇を再建するに至った。そして、「大日八坊」といわれる一山八ヵ寺として名を広める。大日八坊とは。大日堂の八の子院で、普明寺、本覚寺(拝島大師)、円福寺、蓮住廃寺、知満廃寺、龍泉廃寺、密乗廃寺、明王院廃寺のこと。

 また、典型的な天台宗一規一画を留めた寺としても有名だった。正式には拝島山密厳浄土寺といい、現在は八坊の一つだった普明寺が管理している。

 滝山城は南の八王子城に移ったため廃城となり、後北条氏も豊臣氏により滅亡する。しかし、大日堂は天正19(1591)年には徳川家より朱印地を下賜され、その地位を保った。

 なお、大日堂はかつては、この仁王門のすぐ北の現在の園地にあったが、享保17(1732)年に丘の上に移された。

平安時代作の木造大日如来坐像、1692(元禄5)年造立の木造阿弥陀如来坐像が鎮座。


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