プリンスの森から

武蔵村山誕生

武蔵村山市は1970(昭和45)年11月1日に東京都北多摩郡最後の町として市制を施行している。
これによって、三多摩の一つ北多摩という名称が行政上は消滅。武蔵村山一帯は平安時代末期に武蔵七党の一つ、村山党が活動の拠点としていたところ。そのために、市制施行にあたっては村山町から村山市となるのがもっとも自然だったが、当時既に山形県に村山市があったために違う市名を名乗らなくてはならないということになった。
そこで、市名選定調査委員会は町民アンケートを行った。候補市名は旧国名を冠した『武蔵村山』、村山党の本拠地の中心部であったことを意味する『元村山』、さらに『西村山』。三番目の『西村山』というのは先に市制を施行していた『東村山』との対という意味合いだろうか。
このアンケートの結果は回答総数2,788のうち、最も多かったのが『武蔵村山』で50.5%。次いで『西村山』が36.8%。最も少なかったのが『元村山』。
こうして、候補として『武蔵村山』と『西村山』に絞り込まれ高橋正緩町長に答申、市制推進委員会で『武蔵村山』と決定。
ここに晴れて武蔵村山という名称の誕生となった。