ドゥナの戦い

フランスの歴史画家であるジャン・アロー[Jean Alaux,"le Romain":1786/1864-03-02]による1839年の作品.スペイン継承戦争[Guerra de Sucesión Española:1701/1714]でのオーストリア・オランダ同盟軍とフランス軍によるフランスのドゥナ[Denain]における戦い[Bataille de Denain]を描く.フランスのヴィラール元帥[Claude Louis Hector de Villars:1653-05-08/1734-06-17]がプリンツ・オイゲン[Eugen Franz von Savoyen-Carignan:1663-10-16/1736-04-24]とアルベマール伯アーノルド・ヴァン・ケッペル[Arnold Joost van Keppel,1st Earl of Albemarle, KG:1670-01-30/1718-05-30]を破りフランスの失地を回復した.

スペイン継承戦争1701年から14年にかけてのスペイン・ハプスブルク家のスペイン王であるカルロス2世[Carlos II:1661-11-06/1700-11-01]の後継者を巡る戦争.病弱であり王位継承者も持たなかったカルロス2世が,フランス王ルイ14世とスペイン・ハプスブルク家出身の王妃マリー・テレーズの長男ルイ大王太子の子であるアンジュー公フィリップを後継者に指名し1700年に崩御.アンジュー公フィリップがフランスの王位継承権の放棄を条件にフェリペ5世[Felipe V:1683-12-19/1746-07-09]として即位.
しかし,フェリペ5世がフランスの王位継承権を放棄していなかったことから,フランスとスペインの合邦を懸念するイギリスとオランダが反発.1701年,イギリスとオランダは神聖ローマ帝国とハーグ条約を締結し対仏大同盟を結びフランスに宣戦布告した.
1704年にイギリスがスペインのジブラルタルを占領.フランスでも対仏大同盟軍による進撃が続いた.神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世[Leopold I.:1640-06-09/1705-05-05]は次男をスペイン皇帝カルロス3世として擁立する.しかし,1705年に神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世が崩御.その子のヨーゼフ1世[Joseph I.:1678-07-26/1711-04-17]が神聖ローマ帝国皇帝の帝位を承継.ところが,1711年にヨーゼフ1世が崩御.弟のスペイン王カルロス3世がカール6世[Karl VI.:1685-10-01/1740-10-20]として神聖ローマ帝国皇帝に即位.オーストリア・ハプスブルク家の強大化を懸念した対仏同盟はフェリペ5世のスペイン王位の容認へと傾く.加えて,フランス軍がドゥナの戦いに勝利したことを契機として,1713年にユトレヒト条約が締結され終戦.
この戦争の結果,スペイン・ブルボン朝が始まり,並行して行われたアメリカ植民地におけるアン女王戦争においてイギリスがフランスに勝利し北アメリカにおける橋頭堡を確保するに至った.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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