バロック期[baroque]のフランドルの画家であるピーテル・パウル・ルーベンス[Peter Paul Rubens;1577-06-28/1640-05-30]による1621/1625年年の作品.マリー・ド・メディシスの生涯という連作の中の一つ.
アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニ[Concino Concini;1575/1617-04-24]を重用したマリー・ド・メディシスに対して,息子でブルボン朝第2代フランス国王のルイ13世[Louis XIII;1601-09-27/1643-05-14]が1617年にクーデターを起こし実権を掌握.コンチーニ侯爵を殺害し,マリー・ド・メディシスをブロワ城に幽閉.
この絵はマリー・ド・メディシスが1619年にブロワ城を脱出したシーンを描いている.脱出したマリー・ド・メディシスは次男のオルレアン公ガストン[Gaston Jean Baptiste de France;1608-04-25/1660-02-02]と決起.アンリ4世の重臣であるリシュリュー卿[Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu;1585-09-09/1642-12-04]の取りなしによって,母子は和解した.
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"