蒲田の梅園

江戸時代の浮世絵師である歌川広重[寛政9〔1797〕/安政5-09-06〔1858-10-12〕]による名所江戸百景の中の一つ.

名所江戸百景では,亀戸の梅屋舗蒲田の梅園の2つの梅園が描かれている.

蒲田の梅園は,文政年間[1818/1831]に,和中散という家庭用常備薬を販売していた山本久三郎が売薬所の敷地に梅の木を植えて茶屋を開いたのが起源という.

和中散という名前は徳川家康による命名とされ,東海道の草津宿と石部宿の間にあった六地蔵[栗東市六地蔵]で大角弥右衛門が和中散本舗で販売していた.屋号は是斎屋[ぜさいや].なお,六地蔵で和中散を販売していた店舗が5軒あり,その中で本舗を名乗ったのが大角家の是斎屋[ぜさいや].

元禄年間から正徳年間[1688/1716]において,江戸では大森村の中原・谷戸・南原の3店舗が和中散を販売.このうちの南原の店を譲り受けたのが北蒲田村の山本忠左衛門.その子とも弟ともされるのが山本久三郎.

明治天皇が9度行幸した場所でもある.今は聖蹟蒲田梅屋敷公園となっている.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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