チェコのバロックの巨匠であるカレル・シュクレタ[Karel Škréta Šotnovský ze Závořic;1610/1674]の1672年の作品.
パトロンの一人であり,1672年に婚約したドゥバ・リピー伯フランティシェク・アントニーン・ベルカ[Františka Antonína Berky]とアロイシア・ルドヴィカ・アンナ・デ・モンテクッコリ[Aloisie Ludoviky Anny de Montecuccoli]の結婚式の際に制作されたものと考えられている.
南ボヘミアでプロテスタントの家庭に生まれたカレル・シュクレタはプラハで官職を得るが,三十年戦争でプラハがカトリック勢力の支配下となると,ザクセン,そしてヴェネツィアへと逃れた.1634年にローマに移るが,その頃には肖像画家としての地位を確立していたとされる.
1638年にプラハに戻り,イエズス会による支援でカトリックに改宗.1645年にアトリエを開き,1651年から1661年まで芸術家ギルドの会長を務めた.
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"