1809チロルの叛乱

現在のオーストリアのチロル州ロイテ郡出身のヨーゼフ・アントン・コッホ[Joseph Anton Koch,1768-07-27/1839-01-12]によるチロル独立の英雄アンドレア・ホーファー[1768-1810]を描いた1819年の絵画.

チロル地方[Tirol,Tyrol]は現在のオーストリアとイタリアにまたがり,旧チロル伯領[Grafen von Tirol]としてハプスブルク家領だった.第一次世界大戦の結果,北チロル[Nordtirol]と東チロル[Osttirol]はオーストリアに,南チロル[Südtirol]とヴェルシュチロル[Welschtirol]と称されていたトレンティーノ[Trentino]はイタリアへと分割された.

チロル伯領は,チロル家[House of Tyrol]のチロル伯アルベルト3世[Albert IV,Count of Tyrol,c.1180/1253-07-22]の代にほぼ現在のチロル地方の形となるもチロル家は嗣子なく断絶.その後,アルベルト3世の長女エリーザベトの夫であるヒルシュベルク伯[Grafen von Grögling-Hirschberg]がチロル伯領北部を,それ以外のチロル伯領を次女アーデルハイトの夫であるゲルツ伯マインハルト1世[Meinhard I,Count of Görz]が領有.マインハルト1世の息子であるマインハルト2世[Meinhard II, c.1238/1295-11-01]はゲルツ伯領を弟のアルブレヒトに譲りチロル伯領を独立させる.また,ヒルシュベルク伯からチロル地方の領土を買取りチロル伯領をチロル伯アルベルト3世の時代のものに復した.さらに,チロル伯領はヒルシュベルク伯がバイエルン公国[Herzogtum Bayern,Duchy of Bavaria]の出身であった関係からバイエルン公国とブリクセン司教とトレント司教を宗主としていた.

しかし,マインハルト2世は,大空位時代以後に諸侯により神聖ローマ皇帝として擁立された弱小ハプスブルク家ルドルフ1世[Rudolf I.,Rudolf von Habsburg,1218-05-01/1291-07-15]を支持することでバイエルン公国ら3宗主からの独立を獲得.チロル伯を帝国諸邦とすることに成功する.このことは,ハプスブルク家のバックアップによりチロル伯領が安定するとともに,ハプスブルク家からの干渉を受ける伏線となっていく.

その後,ハプスブルク家のオーストリア公ルドルフ4世[Rudolf IV., 1339-11-01/1365-07-27]が,妹がチロル伯マインハルト3世に嫁いでいた関係で,マインハルト3世[Meinhard III.,1344-02-09/1363-01-13]が嗣子なく没するとチロル伯領を得ることとなる.以降,ハプスブルク家がチロル伯を世襲していく.

1805年,ナポレオン1世率いるフランス軍が,ハプスブルク=ロートリンゲン家の当主である神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世[Franz II,Franz Joseph Karl von Habsburg-Lothringen,1768-02-12/1835-03-02]とロシア皇帝アレクサンドル1世率いるオーストリア・ロシア連合軍と干戈を交えたアウステルリッツの戦い[第1次オーストリア戦役]でオーストリアがフランスに大敗.プレスブルクの和約によってチロルはヴィッテルスバッハ家[Haus Wittelsbach]のバイエルン王国へと割譲された.

1809年,再度,オーストリアがフランスに宣戦布告すると,バイエルン王国からの徴兵が始まっていたチロルの領民が蜂起.これを指揮したのが,チロルの宿屋経営者兼馬運業者であったアンドレアス・ホーファー[Andreas Hofer,1767-11-22/1810-02-20].

ところが,ナポレオンによりウィーンが占領され,ヴァグラムの戦い[Battle of Wagram,Bataille de Wagram, 1809-07-05/07-06]にも敗れるとシェーンブルンの和約[Peace of Schönbrunn]により再びチロル割譲が決定.

割譲決定以後も抵抗を続けてきたチロルのアンドレアス・ホーファーはイタリア軍により捕えられ,1810年2月20日に銃殺刑に処された.

チロル地方は,フランスが敗れた後の1814年から1815年にかけてのウィーン会議[Congress of Vienna]によってオーストリアへと復帰.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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