アルバニアのマト地方[Rrethi i Matit,Mat District]出土.
紀元前229年から紀元前168年の間に3度に渡って,共和政ローマとイタリア半島沿岸南東部のイリュリア人[llyrii/Illyri]との間で戦われたイリュリア戦争[Illyrian War]時の兜とされる.第1次ポエニ戦争後の第1次イリュリア戦争[229BCE/228BCE]はテウタ女王[Teuta]率いるイリュリア王国による海賊行為を契機として始まる.そして,共和政ローマが勝利しローマの保護領化した.
ローマによって新たにイリュリア王国の王とされたファロスのデメトリウス[Demetrius of Pharos;/214BCE]は,第2次ポエニ戦争[219BCE/201BCE]を好機と捉え共和政ローマに戦いを挑む.しかし,この第2次イリュリア戦争[220BCE/219BCE]でもイリュリア王国は敗れ,デメトリウスはマケドニア王国[808BCE/168BCE;アンティゴノス朝]のピリッポス5世の元へと亡命.
続いて,共和政ローマとマケドニア王国[アンティゴノス朝]との間で第3次マケドニア戦争[171BCE/168BCE]が戦われると,イリュリア王ゲンティウス[Gentius]は共和政ローマに叛旗を翻す.この第3次イリュリア戦争[168BCE]もイリュリア王国の敗北に終わった.その後,イリュリアは共和政ローマの属州であるイリュリクム[Illyricum]とされた.
なお,属州イリュリクムからは後にローマ帝国のアウレリアヌス帝・クラウディウス2世・コンスタンティヌス1世・ディオクレティアヌス帝,東ローマ帝国のユスティニアヌス1世が出ることになる.
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"