東大寺南大門

 南都六宗(三論・法相・華厳・律・成実・倶舎)の一つである華厳宗の大本山として知られる東大寺。
 南大門はその東大寺の正門であるが、天平創建時の門は平安時代に大風で倒れたとされる。 また、東大寺は、治承4(1180)年12月28日に平重衡の手により炎上。この時、大仏殿として知られる東大寺金堂とともに南大門も焼け落ちている。
 その後、天下を二分する源平の兵乱が治まると、後白河法王は法然上人(源空)に東大寺再興の院宣を下す。しかし、法然上人は高齢を理由として弟子の俊乗坊重源を推挙。重源は山城国出身。醍醐寺での真言の修得を経て浄土宗の法然上人の門下に入った。
 宋に渡り天台山で学んだ経験を有する重源は、天竺様=大仏様という新しい建築様式を取り入れて南大門を上棟(正治元[1199]年)。建仁3(1203)年には仁王像を含めての竣工を迎える。同じ時期に再建された金堂のほうは、室町期における兵乱で再び灰燼に帰したことから、この入母屋造、五間三戸二重門の構造を現代に伝える南大門は貴重な鎌倉期の建築物ということができる。