中和田城
横浜市泉区和泉町にある泉小次郎親衡の館との伝承を持つ城。
最寄駅は相鉄いずみ野線の「いずみ中央」駅。
泉親衡は信州上田を発祥の地とする信濃源氏。源満仲の三男の源頼信の流れが河内源氏で源頼朝に繋がります。一方、泉氏は源満仲の弟の源満快の子孫に当たります。
源頼朝の死後、1203年に比企の乱で第2代将軍源頼家の外戚の比企能員が北条時政に斃され、源頼家が将軍職を剥奪されて追放され源実朝が第3代将軍に擁立されます。前将軍源頼家は伊豆に幽閉された後に暗殺。
これに対して、信濃源氏の泉親衡が源頼家の遺児の千寿丸(栄実)を擁立して打倒北条氏の兵を募ります。泉親衡は和田義盛の子の和田義直、義重、甥の胤長、千葉成胤を誘いますが、千葉成胤は使者を捕えて北条義時に差し出します。ここで謀反の計画が発覚。和田義直、義重兄弟と胤長も捕らわれます。泉親衡は北条義時の派遣した軍勢と合戦。混乱に乗じて逐電。
この乱の結果、和田義直、義重は助命されますが胤長は流罪。しかも、通例に反して、和田胤長の没収された鎌倉の屋敷が一族の長の和田義盛に渡らず北条氏預かりとなります。この措置に激怒した和田義盛は挙兵。これが和田合戦です。この戦いで和田義盛らは討ち取られ和田一族は滅びますが、最後まで奮戦し、由比ヶ浜から残兵を率いて安房へと船で渡ったという伝説があるのが和田義盛の三男の朝比奈義秀。
和田合戦の前哨戦となった叛乱の主人公の泉親衡も向うところ敵なしと言われた人物で、かつ、叛乱後は生き延びたものの消息不明。和田合戦の主人公の一人の朝比奈義秀も同じく向うところ敵なしと言われ、かつ、合戦後に消息不明。鎌倉時代のミステリーです。