武石館

千葉は花見川にある千葉常胤の三男、武石三郎胤盛を始祖とする武石氏の館です。

写真は真蔵院裏の墓地への道。搦手とも考えられています。

武石胤盛は、1171(承安元)年に香取郡山田の神生城から武石に移ります。

後に、奥州合戦の戦功によって奥州の宇多、伊具、亘理を得ます。

武石胤盛の子の胤義が下総武石を受け継ぎ、胤義の弟胤氏が奥州の宇多、伊具、亘理を受け継ぎました。武石胤氏の子孫は奥州に本拠地を移し亘理氏となっていきます。


武石三郎胤盛の子孫である武石三郎左衛門胤晴が、1294(永仁2)年、胤盛の母の菩提を弔うため、愛宕山古墳に建てた七基の板碑の一つ


第一次国府台合戦で小弓御所足利義明方について討死した武石蔵人丞胤親を埋葬したと伝わる「おたけ様」。ここに武石館が建っていたといわれています。