寿能城
岩槻城主の太田資正(1522-1591)の五男・潮田資忠(-1590)が岩槻城の支城として1560(永禄3)年に築城したお城。さいたまは大和田公園、大宮公園のすぐ近くにあります。
寿能城は太田資正が上杉謙信に従って北条氏康(1515-1571)に叛旗を翻したために北条軍の猛攻に逢い、その防衛のために築城されました。
兄の太田氏資が父親を追放し北条に与すると兄に従って北条方に転じました。
1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐時には、嫡男の潮田資勝とともに小田原城に籠城し井細田口にて揃って討死します。
寿能城も豊臣方の浅野長政軍の攻撃に逢い落城。籠城していた潮田家の妻子、家臣団は見沼に身を投じたと伝えられます。
潮田資忠の次男の潮田資政は城から脱出し伯父の太田資武を頼り、土井利勝のもとで古河藩家老となっています。