粟原城
埼玉は鷲宮にあるお城です。
隣接する鷲宮神社の社領の居館だったと考えられています。
1561(永禄4)年に上杉謙信が関東地方に侵攻した際に、鷲宮神社神主大内氏配下の粟原城主の細萱民部少輔光仲は北条氏康に与して小田原城に詰め、細萱光仲の子の細萱半左衛門泰秀は花崎城に在城していました。
そこを上杉謙信方の羽生城主・木戸宮内少輔忠朝によって攻められ落城します。
但し、上杉謙信が越後に引き上げると、粟原城は再び細萱家の支配下となり、1590(天正18)年に豊臣秀吉による小田原征伐によって後北条氏が滅亡するまで続くことになります。