長沼城
東京は稲城にあるお城。
小山政光の子の長沼五郎宗政(1162-1241)が館を構えた地という伝承があります(『新編武蔵国風土記稿』)。小山政光と言えば下野国の大豪族にして、妻の寒河尼は源頼朝の乳母。長沼宗政の兄弟には小山朝政、結城朝光といった武将がいます。
長沼氏は鎌倉時代を通じて淡路国守護職を務めた他、室町時代には第3代鎌倉公方足利満兼(1378-1409)によって、宇都宮氏、小田氏、小山氏、、佐竹氏、千葉氏、那須氏、結城氏とともに関東八屋形に定められた家になります。
もっとも、この小山氏系の長沼氏は本拠地が下野国、つまり、現在の栃木県にあたります。そのため、この地に館を構えていたのは、武蔵七党(横山党、児玉党、猪俣党、村山党、野与党、丹党、西党)の西党日奉宗忠の曾孫の職任を祖とする長沼氏と考えるのが妥当と思われます。