田宮館
埼玉は幸手の幸手中学校と幸手桜高校の近くにある宝持寺は,一色氏の祖の一色公深が鎌倉末期に,新たに父親の足利泰氏(1216-1270)の遺領の下総国葛飾郡下河辺ノ庄田宮荘へ三河国幡頭郡一色から移り住んだ場所だと言われています.
一色公深は弘長3(1263)年10月23日に足利庄で足利泰氏と櫻井判官俊光の間に七男として生を受けました.櫻井判官俊光は三河国幡豆郡吉良荘の地頭であったことから,一色公深は母方の櫻井家の地頭職の地位を受け継ぎ吉良荘一色郷で暮らしました.
一色公深は,元応(1319)年に,次男の頼行に吉良荘を譲り,長男の範氏とともに,足利泰氏の遺領の下総国葛飾郡下河辺ノ庄田宮荘に移り住みました.
後に,一色一族は近くに一色氏館(一色城とも)を築城し移りました.そして,元徳2年2月17日(1330年3月7日)に一色公深は亡くなり,田宮館の跡地に宝持寺が建立され葬られたと伝わります.